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遺すことば。(1)

50年ほど前の大阪。
ある男とある女が、結婚をした。
二人は仲良すぎることもなく、仲が悪すぎることもなく、新婚さんのよくある日常を送っていた。

2年が経過したころ、女は妊娠し、十月十日を通して子供を産んだ。

その子供が、私だ。

いつもニコニコと笑顔でいるので、かわいいかわいいと溺愛されて育っていた私。たくさん残る写真に写る私はどれも、目にキラキラと未来に希望を持った輝きを持っていた。

数年後きょうだいが産まれるとお姉ちゃんとしての意識が生まれてきょうだいをかわいがる面倒見のいい子供になっていった。

保育園、小学校を大阪の下町で過ごし、低学年で空気のいい田舎へ引っ越して、自然の中を駆け回る子供に成長していった。

乳児の頃はとびきり可愛かったという私は、きっととても有望な未来が待っている。周囲はきっとそう思っただろう。
しかし、小学校高学年辺りからのイジメや家の事情などで、私はどんどんと考えが傾けてゆく。

今まで生きてきたなかで覚えている様々なことを、このnoteという媒体でまとめていこうと思う。

ちょうど私は今日誕生日を迎えて、ひとつ歳をとる。親への感謝も周囲への感謝も含めて、私という人間の奇妙な半生を振り返りたい。

…小学生の私へ伝えたい。
あんたの人生は思った以上に大変だから、しっかり備えておけ、と。