銀河鉄道を追いかけて #7

7th stop 手のひらに銀河の欠片

 正人は、くらくらする頭に手を当てて、目を開きました。コオロギの鳴き声が、耳元や遠くで聞こえています。起き上がってみると、正人は、公園の滑り台のすぐ下に横たわっていました。
「真吾!」
 正人はあたりを見回して、すぐに真吾を見つけました。真吾は正人のすぐ近くで、リュックサックを抱えたまま、倒れているのか、寝てしまっているのか、わからないような格好でいました。
「んー、あれ。マサ?」
 真吾は眠たそうに身を起こして、正人を見ました。正人は気が抜けて、ため息をつきました。二人がそうして地べたに座っていると、ブランコの方から人影が近寄ってきました。正人はすぐにそれに気がついて、とっさに身構えました。
「おや、坊ちゃんたち、こんばんは。おかえりなさい、旅行は楽しめましたか」
 がさがさした、優しい声で、その人影は話しました。真吾はすぐに気がついて、正人に耳打ちしました。茶色い古びた外套を着て、赤いひげのその人は、銀河鉄道の切符をくれた人だったのです。正人はそれを聞いて、真吾にうなずきました。
「はい、お陰様で。ところで、今日のご用はもうお済なんですか?何かご予定があったから、僕らに切符をくださったんですよね」
 真吾が口を開くより先に正人がそう言うと、その人は不意を突かれたような表情をしました。それから、視線をきょろきょろと漂わせ、そわそわしていましたが、やがて、思いきった調子で言いました。
「坊ちゃんたちは、銀色の少女にお会いになりましたか」
 その言葉を聞いて、正人は眉をひそめました。真吾も思わず「えっ」と声を漏らしました。
「会ったも何も、僕らは彼女にひどい目に遭わされましたよ」
 正人ははっきりと怒ったように言いました。すると、茶色い外套の人は、驚いた顔をして、それからとても面目なさそうに、もじもじと両手で帽子をもてあそびながら、言葉を探している様子でした。
「ああ、まずは、お二人がご無事で、本当によかった。それから、こんなことに巻き込んじまって、本当にすみません」
 茶色い外套の人は、かわいそうになるくらいぺこぺこ頭を下げながら、言いました。
「わっしはただ、あの子を助けてほしかっただけなんで。あの、迷子の鳥を」
「鳥? 鳥って、よだかですか?」
 真吾が少し首を傾げながら聞き返します。
「いいえ、あの銀色の少女です。あの子は、迷子の白鳥なんです。長い話になりますが、お話しせねばならんでしょう。どうか、聞いていただけませんか」
 正人と真吾は顔を見合わせました。茶色い外套の人は、ハンカチを取り出して、顔に浮いた汗の粒を拭いていました。
「わかりました。お話を聞かせてください」
 真吾がうなずくのを見て、正人が言いました。
「わっしは、銀河で鳥を捕まえる仕事をしております。ツルやらガンやら、サギやら白鳥やらを捕まえて、押し葉にして売って、生計を立てておるんです……」
 茶色い外套の人は、心を決めたように、しっかりとした口調で話し始めました。
「あるとき、いつものように天の川で鳥を捕っておったら、一羽の白鳥のひなが、水のなかで弱って、沈みそうになっとりました。ひなは押し葉にはしませんが、見捨てておくこともできす、助けて家に連れて帰ったんです」
「それから、世話をしとるうちに妙に愛着がわいて、それからは我が子のように、育ててきました。銀河の色んなうつくしいものを見せ、おいしいものを与えて育てました。そうするうち、見る間に大きくうつくしく育った白鳥が、ふしぎなことに、自分から、色んなものを見たり、聞いたり、感じたりしたがるようになったんです。星でも星座でもない、ただの天の川の水鳥だってのに」
「わっしは、白鳥がそんなふうになったのを、喜んどりました。ところが、ある日突然、白鳥はわっしの前から姿を消しちまいました。そして、それから間もなく、銀河で傍若無人に振舞って、ひとの心臓を取ってしまうという、恐ろしい、銀色の少女の話が聞こえてきたんです。あの白鳥は、中途半端に心を持っちまったために、あんな風になっちまったのかも知れません」
 ここまで一気に話してしまうと、茶色い外套の人は、ふうっとため息をついて、ひどく暗い顔をしました。正人は、列車と一緒に走っていた少女の軽やかな足取りと、白鳥の翼とを重ねて思い浮かべました。蛍が、天の川の白鳥を、強く想いを込めて眺めていたから、その影が白鳥と一緒になって、大好きなうつくしいものを求めて、さまよっていたのかもしれません。
「おじさん」
 真吾が口を開きました。
「あの子は、もう大丈夫だよ。銀色の少女は南十字へ帰って、白鳥は、俺たちを助けてくれたんだ。きっと今は、自由に銀河を飛びまわっているよ。銀色の少女は、もともと、白鳥のうつくしさに憧れていた、ただの迷子の女の子だったんだ。おじさんの娘の白鳥は、きっと銀河でおじさんを待ってる。だから早く帰ってあげなよ」
 真吾は、銀河鉄道の旅のことを詳しく話して聞かせました。茶色い外套のおじさんは、胸を打たれたように正人と真吾を見ました。真吾はにっこりと笑い返しました。正人も、やわらかい笑みを漏らしていました。

 それぞれの家へ帰る道を途中まで一緒に歩きながら、正人と真吾はまた、何とはなく話していました。
「真吾。足、捻ったんだろ。普通に歩けるのか」
「ああ、これくらい平気だよ!」
 真吾は元気に駆け足をして見せて、直後に「いたっ」と声を漏らしました。正人もいつものように「ばか」とあきれて言います。遠くで犬が吠えているのが聞こえました。それ以外は、こおろぎと、すずむしと、よく名前のわからない虫の声ばかりです。
「なあ。なんだか全部、夢だったみたいだな」
 正人が、空の星を見上げながら言います。真吾はその顔をのぞきこみ、言いました。
「夢にするなよ。俺は、石炭袋のなかだって、一緒に行くよ」
 正人は、照れくさくなって、顔をそらしました。そんな正人の様子を見て、真吾はけらけらと笑いました。それから、ちょっとしんみりした口調で言いました」
「蛍はさ、ほんとうなら今年で15歳なんだ。俺の妹。今ここに居たら、あの銀色の少女くらいなんだと思う。蛍のきれいな時期に生まれたから、蛍。きれいなものが好きで、石とか木の実とか貝殻とか、いろんなものを集めてたけど、誕生日に俺が買ってやった絵本が一番好きだって言ってたな」
「あいつ、よく言ってたんだ。きれいなものがあって、それをきれいだなって思う時の、ここがいちばんきれいなんだって。だから、きれいなものを、たくさんきれいだって思っていたいんだって」
 真吾は、自分の胸をとんとんと軽く叩きながら言いました。正人も、自分の胸にそっと手を当てました。
「あ、ここまでか」
 真吾の声に正人が顔を上げると、気がつけばいつの間にか分かれ道に差しかかっていました。真吾は曲がり角に来て、とんっとかかとで向きを変えると、リュックサックを肩にかけ直しました。
「いたっ。へへへ……。じゃあ、また月曜日な!」
「おう、気をつけて帰れよ」
 正人はなんだか感傷的な気分で、真吾が行ってしまった道をしばらく見ていました。
「あっ、月曜は休みだろ」
 正人は一人で道の真んなかに立ったまま、呟きました。だから真吾は正人をこの旅に誘ったのだったというのに。正人は笑いながら、自分の道へと歩みを進めました。遠くでパトカーのサイレンが聞こえます。街灯に照らされた『ひったくりに注意!』のポスターが、正人を睨んでいます。風流も趣もない、現代の街の秋の夜でした。
「ふー。ああ、寒い」
 正人はそんな景色をしり目に、ズボンのポケットに手を突っ込みました。ふと、何か丸くて冷たいものが、指先に触れました。正人はどきりとして、歩いていた足を止め、それを引っぱり出しました。
「あっ」
 暗い道のなかだというのに、はっきりとわかりました。それは、空気を凍りつかせたように透明で、ふしぎに青く銀色に光る、小さなガラス玉でした。正人はしばらくそれに見とれていましたが、もしかしてと思い、上着のポケットを探り、紙切れを取り出して、街灯の下でそれを見ました。
「『銀河鉄道 特別定期乗車券』」
 淡い藍色の紙切れに、今まで見えなかった字が、銀色でくっきりと刻まれているのが読めました。けれども、定期券のはずなのに、日付などがどこにも書いていませんでした。
「まあ、いいか」
 正人はガラス玉と切符をそっとポケットに戻して、スマートフォンを取り出しました。明日またどこかに遊びに行こうと、真吾にメッセージを送ってから、それをまた仕舞いました。寒さは指先に沁みましたが、星々はますますうつくしく輝いて、星座たちは語り合っているのです。なんだか胸が温かく、弾むような気持で、正人は自分でも気づかないうちに口笛を吹きながら、家への道を歩いて行ったのでした。

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