本音も社交辞令も流しソーメン
そうめん食べたい。動いてないのに暑いよ。
noteにエッセイを書くのは久々。
「いいんだいいんだ!楽しく書ければ!趣味でやってんだからさァ」
っていうのと
「どうせならうまく書けるようになってコンテストで賞を獲ったり書籍収録とかされちゃってThe power of dreamsパナソニックIdeas for life.」
っていう思いが正面からぶつかり合って辛くなる時もあるけれど、私は元気です。
正直どっちも正しいんじゃないかなって思っている。私個人としては、本も出してなけりゃ賞も獲れていないのにたとえアタマにwebがついても自分が「作家」を名乗るのは違うなーと思うようになったので、web作家とは名乗らないようになった。
でもみんな先生じゃないですか、って諭されたら「そう?」とか言いながらサッカを名乗りはじめるかもしれない。主体性がないなあ。
人の作品を読んで「面白いです」って言うことは出来ても「ここはもっとこうなったら更に良くなりそう!」とかは言えない。だったらお前がそういうの書いてみせろよ、って言われてもできる自信が(今のところ)ないので。
よくnoteとかYouTubeとかのコメ欄で「あの歌手がヘタクソ」とか「こいつの絵がダメなのはこういうところ」とか書いてる人いるけど、じゃあそういうところを充足した成果物をその本人が生み出せるかっていったらまた別の話だし、よく言えるよなすげえな……って思っちゃう。自分ができてないのに他人にああだこうだ言う人の言葉ってぜんぜん響かないじゃないですか。
でも、理由とかその物言いはどうあれ、自分よりも強いものに楯突く存在ってなんだか格好良く見えてしまうものだし、ほんと人間って難しい。
もとより、私は自分の思っていることをスッと口にできないタチでもある。相手がどう感じるんだろうか……っていうことが先に行っちゃって、もしかしたら私の言葉で相手が何らかの気づきを得たり、ヒントにしてもっと素晴らしいものを作れるようになるのかもしれないけど、たった一瞬でも(は? お前に言われたくはないんだが?)と思われたら……って考え始めると、いつもハマグリみたいに口を閉ざしてしまう。
だからって、なんでもいいから忌憚なきご意見をください、って言われたら「じゃあ…」とあれこれ言いまくっちゃうしな。別に相手をこてんぱんに言い負かしたいとかってわけじゃなくて、自分は間違いなく(こうなったらいいのに)と思っていて、かつ相手がそれを口にすることを許したんなら、そこで「でも…」とかモゴモゴするほうが失礼になるなあって思うからこそ言うんだけどさ。
けれど「いや、そこはさあ大人じゃん? 好き勝手は言うなよ、ってことだよそれは。客先で出された飲み物に口をつけないのと同じことじゃん」とか言われるとばちくそに腹立つんだよな。他人の施しをああだこうだ言い訳して断るのってむしろ失礼じゃない? というか食い物粗末にするなんて、SDGsだかSONYだか知らんけど、持続可能な社会に仇なす行為だろうよ。
私に足りないもの。
本音と建前。
社交辞令。
ムーディ勝山くらい受け流せる心。
あー、人間ってめんどくせえな。
他人の絵をまねっこするAIより先に、私の代わりに仕事と家事と役所の手続きしてくれるアンドロイドとか作ってくれよ。それこそパナでもいいしソニーでもいいし、ホンダでも作れるんじゃないかな。ASIMOとか作ってたもん。
飲み会とか旅行とかライブには私が自ら行くんで大丈夫です。
……みたいなこととか、もっとおちゃらけたこともこれから書きためていこうと思いますが
文学フリマ東京37に出店時「アンソロ本」「短編集」に加えて
エッセイ集もつくって売ろうかと思っています。
何卒よしなに
※あくまで予定 他の2冊が優先なので「あっ、こりゃダメだ無理」ってなったら、このnoteを下書きに戻して何もなかったことにします
※作るときは他の2冊に比べたら薄く、手間も金もかけないつくりにする予定です 読まなくなったら駅のゴミ箱とかへ気軽にShootできるようにするつもり
お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、創作活動やnoteでの活動のために使わせていただきます。ちょっと残ったらコンビニでうまい棒とかココアシガレットとか買っちゃうかもしれないですけど……へへ………