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バリバリの●●です。その4

前回までのあらすじ

 初めて心療内科を受診し「生きている間のことは生きていれば解決できる」と主治医に言われた西野。薬を飲みながら会社に通う日々。いろいろな要因が重なって、一年目ほど辛くはなくなり、やがて二度目の克服に成功する。

 でもそんな簡単にいく話なら3本もひっぱってエッセイ書かないよな。
 そういうことです


病院行くのはもーいーかい

 前回書いた通り、私はメンタルが平常に戻りかけている頃、のちの配偶者となる存在と付き合い始めた。今にして思えば、この時そんなことをしていなければ私が抗うつ薬を飲む機会はもうなかったはずだけど、現実はそうそううまくいくものではない。うまくいかないことの方が多いのだ。

 正直言ってあの頃は、相手のことが好きかどうかというよりも、相手に嫌われないようにして生きていたと思う。だから会社があるのに朝の5時まで喧嘩したりしても、別れることができなかった。相手は絶対に自分の非を認めないし、単にむしゃくしゃするからと私を一方的にどやしつけたりしてきた。にもかかわらず離れられなかった当時の私は、完全に迷子になっていたのだろう。

 入社三年目になるとき、初めて異動者として名前が呼ばれた。行先は、社内でも一、二位を争うほど忙しい本社部門の部署だった。内示を受けに本社の応接室へ向かい、内心(ここだけは行きたくねーな)と思っていた部署の名前が見事に知らされたとき(あ、死んだ)と思った。

 こういうところで予想が当たらなくてもいいんだよ。


残機0

 新しい部署での仕事が始まった。ちなみに初出勤の日も朝までオールナイトで喧嘩をしてて、相手が自分の靴を私に投げつけてくるのを振り切って出勤したんだけど、だんだん腹立ってきたよ私は。なんでさっさと別れなかったの? ああだこうだ書いてるけどさっさと事故物件から出ていけなかったてめえも悪いだろ、と思う。
 まあ当時はそんなことも考えられないくらい追い詰められていたわけで。

 結局その部署にいる間に休職して会社を辞めたのだけど、私が終始辟易していたのは、延々と続く稟議書のスタンプラリーと毎月開かれる飲み会(実質会社公認だけど参加費は自己負担)、そして果てしない残業だった。

 特に飲み会と残業が辛かった。当時私は同棲をしていて、結婚してからもそれは変わらなかったが、私の帰宅時刻が遅くなればなるほど相手の機嫌が損なわれていくのである。もちろん私だって残業は嫌いだし、飲み会なんざパスしたかったが、一度でもサラリーマンとして生きていれば、個人の嗜好だけで断れることとそうでないことがあるのくらいは簡単に理解できる。
 ちなみに相手は就業経験こそあれ、ほとんどパートやアルバイトだったから、そもそも会社の飲み会に行ったり、日付変更線の手前まで残業をしたりする経験自体がなかった。だから「いやだ」と言いながらも毎月飲み会へ向かう私へ「意気地なし」「チキン」「家族を大事にできないならもう別れよう」というLINEをひっきりなしに飛ばしてきたのだと思う。

 私が壊れる決定打になったのは、上司や他部署にも進捗を共有していた企画でトラブルが起きたとき、揃いも揃って「そんなん聞いてないし」としらばっくれられて、すべての責任を私一人で背負うことになった出来事だ。私みたいなポンコツでも、取引先や他部署との連絡メールのCCに直属の上司を入れたり、口頭報告することくらいは忘れずにしていた。それでもその人物が「いや、自分は何も聞いていないですね」と言っていたのを耳にしたときは、残りの人生を網走でタンスとか彫って生きることを一瞬覚悟した。てめえ正気かよ、と。耳の穴が狭くて聞こえなかったのなら拡げてやろうか、私が鋭利な刃物をもって……と。

 もうどうしようもなかった。会社には行きたくない。家にも帰りたくない。八方塞がり。四面楚歌。無味乾燥な毎日の中でピリリと辛い刺激は、私の喉を、身体を焼き尽くしていく。
 同時期に、ずっと可愛がってくれた祖母が逝ってしまったのも効いた。仕事のせいで死に目に会えず、実家に帰ってから、仏間の布団に寝かされながら冷却されている祖母の姿を見たときは、何とも言えない気持ちになった。
 私がもしも自死を選んだとき、みんな私の死体の隣で何を語るんだろうか。どうせ私のことなんかじゃなくて、久々に会った親戚の子供の成長を喜んだりとか、葬儀屋が持ってきた仕出し弁当の天ぷらがベチョベチョしてるとか、そういう話で盛り上がるんだろうな。
 だったら私はいっそのこと、誰にも亡骸を見つけてもらえなくてもいい。誰にも邪魔をされずに、だまって無に還りたい。

 それでも私はしばらくの間、我慢して会社に通い続けた。
 最後まで張り続けた意地がプチーンと切れるのはあっけなくて、残業中に私が会議室に入って一人作業をしていたとき、フロアに戻ったら他の全員が帰宅していたことを知った瞬間、完全に終わった。自分は自分の持ち場が終わったら同僚の手伝いをしてきたし、自分が先に帰るにしたって必ず一声かけて帰るようにしていた。
 他人からして、自分にはそんな価値すらないのか。
 そう思うと悲しくて、家に帰る道すがら、コンビニで酎ハイを買って一気飲みした。
 缶一本イッキ飲みしたくらいじゃ、私は死ねない。
 自身の酒の強さを恨んだのは、後にも先にもあの時だけだった。

 翌朝、家から職場までの間で急に催して、路肩のグレーチングに向かって朝食を全部吐いた。出勤した途端、上司が「西野さん、顔色悪いけど大丈夫か」と声を掛けてきたので、イラッときて「出勤中にゲロ吐いただけですけど」とありのままを伝えた。もちろんその場で帰宅するよう言われたので、家に帰った。
 以来、私は退職するまで会社の敷居をまたぐことはなかった。

 また戻ってきちゃったのか。

 死んだ目で、病院のタイル貼りの外壁を見上げながら、私は独り言ちた。


 診断書を会社に郵送した私は、荷物をまとめて実家に帰った。祖母に続いて祖父が旅立とうとしていたから、今度は最後まで見送ろうと決めた。
 他のことは考えたくなかったし、もはやどうでもよかった。


 うるせえ。


【まだ続く】

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