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「FF外」という概念。

HSP勢で内向型人間のオタクがお送りする、「オタ語り」。

今回は「人との距離感」について。


急にフォロワーの方が増えるとびっくりしてしまう。

1月にnoteをはじめて3ヵ月が経過した私ですが。

つい数日前までフォロワーの方の数が一桁だったと記憶していたのですが、にわかにフォローしてくださる方が急に増えていて、「敏感」なHSP気質の私は内心「何かやらかしてしまったのではないか」とドキドキしたりもしておりますが。

もしかしたら、何かの記事がリンクで紹介されたのかもしれませんが、そのあたりは余り詮索しないことといたします。

そして、新たにフォローいただいた方にはあらかじめお断りさせていただきたいのですが、いわゆる「フォロバ」に関しては、あくまでも「投稿内容を見て」判断させていただきたく思います。

「フォローされたら、フォローし返す」というのがSNSでのマナーだと考えている方もいるようですが、私はそのような半ば強制的な決まりごとが本当にWebにおける適切な他者との交流なのかどうか、という点を疑問に感じておりまして。

なので、読者の皆さまがフォローをするのも外すのも自由ですし、逆も然りで、私がフォローされたからと言ってフォローし返すかどうか、はあくまで私の自由でありたいと思っております。

「仲間意識」の強さ故なのか

X(旧Twitter)などでときどき、コメントをされる方の中で「FF外から失礼します」という"枕詞"を見かけます。
これは海外ではあまり見かけないやり取りで、そもそも「Web」という場はクローズではなくオープンなものなので、私自身はこのようなやり取りは少し不毛ではないかと思ってしまいます。

かつてインターネット黎明期に、「無断リンク禁止」という文面や、「Japanese Only」といったワードを日本の個人サイトなどで見かけたりもしました。

しかし、繰り返しますが、インターネットは「オープンな場」です。
自分の文章がWeb上に公開されるということは、すなわち「すべての人が閲覧できる」という宿命を帯びております。

もちろん、著作権や肖像権などは守られるべきで、画像の無断転載などはご法度ですが、「リンクそのもの」(※)を禁止するということにどれだけの意味があるか、私は2000年頃からインターネットを利用しておりますが、その時からずっと疑問に思ったりもしておりました。
(※一部の人にしか知られていない共有リンクや会員制のサイトは除きます。あくまで「公開されているサイトのリンク」のお話です)

タイトルにも記載した「FF外」に関しても、恐らく日本人は「赤の他人」から話しかけられることに抵抗があるからかもしれません。

私自身も、内向型人間であるため、確かにリアルの場において、突然話しかけられると戸惑うことはあります。

しかし、先述したように、インターネットはオープンであり、SNSはソーシャルな場ですから、「他人にコメントすること」について、いちいち許可を得る必要は皆無だと思っています。

「波風を立てない」「人の顔色をうかがう」という傾向が強い日本社会においては、こうした「FF外」というワードを免罪符のように使うことで、コミュニケーションを無難にこなしたいという意図はわからなくもありませんが、少し予防線を張りすぎのような気がします。

日本は農耕型のムラ社会を形成してきましたから、「仲間での共同作業」が多かったという点では、確かに「村八分」にされることを恐れ、本音を言いくくなった部分はあるのかもしれません。

しかし、インターネットの良さというのはやはり、「自由にものが言える」ことであって、それを阻害するようなしきたりや習慣というのは、ご遠慮いただきたいなぁ、というのが私の希望であります。

難しい「人との距離感」

近年、いわゆる「発達障害」や「自閉症スペクトラム障害」、「注意欠陥多動性障害」といった、"コミュニケーション"について社会生活を送るうえで困難な状況にある方が増加傾向にあるといいます。

私自身は、HSP気質で内向型人間ではあるという自覚はあるものの、医療機関を受診した経験がないので、そうした症状を自分が持っているのかどうかはわかりません。

ただ、そうした症状を「精神的障害」として一括りにすることにも疑問を持ちますし、人によって障害の程度はまちまちなので、社会的なコミュニケーションへの対処が年々難しくなっているという実感はあります。

人によって「心地よいパーソナルスペース」は違うので、私も「いきなりグイグイ来る」漫画のキャラクターのような方に出会うと、確かに面食らうことはあって。

私自身も、ある程度人と仲良くなっても、ずっと敬語で話してしまっていたりするので、人との適切な距離を上手く取れるようになりたい、という思いはずっと持っていたりします。

現代は「コミュニケーションが希薄」と言われるけれど…

よく、メディアなどの現代論として「コミュニケーションが希薄になっている」と解説されることがあります。

確かに都市部などにおいては、同じマンションや隣に住んでいる人の顔すらも知らなかったりするケースがあり、そうした傾向も間違いではないと思います。

かつての日本に比べると、現代は「核家族化」が進んだことで、何世代にもまたがった人たちが同居する大家族は少なくなってしまいました。
そういったライフスタイルの変化も影響していると思います。

そして、いわゆる「コミュニティ」が崩壊してしまっていることも現代の象徴とも言え、「町内会」や「伝統宗教」が担っていたそうした地域の繋がりが失われてしまった現在では、例えば「商店街」がシャッター通りになってしまったり、地域の伝統行事などお祭りを担う人材の確保に苦労していることなどを見ると、やはり寂しさを覚えます。

メディアで言われるような「希薄」という言葉で一括りにされることに違和感を覚えるのは確かですが、一方で海外と比較すると、日本人は「他者からの世話焼き」を極端に忌避しすぎる傾向も感じます。

例えば、「子供が電車の中で騒いでいても、誰も注意しない」という問題は、かつての昭和ではあまり見られませんでした。
子供は社会が育てる」という感覚が根強い沖縄や台湾などの地域では、現代でも他人であろうとも、そうした迷惑行為にも積極的に関わろうという気風が感じられます。
(実際、沖縄県の出生率は47都道府県で断トツの1位です)

また、昭和の頃は「縁談を近所の人たちが世話焼きしてくれる」という文化もあり、それによって結婚などに結び付いた事例なども多く、結果的に現代の人には「おせっかい」と思われるようなことも、実はプラスに働いていた部分があります。

私は、「どちらが正しい」と優劣をつけるつもりはありませんが、現代の「他者を極端に忌避する傾向」が、少子化を招いているとも思っているので、今の社会においては、もう少し寛容さをもって人との繋がりを築いてほしい、と思っていたりもします。

日本を覆う「カテゴライズ」の網。

先ほどの「FF外」の例のように、「親しい人」と「そうでない人」というサークル単位で分類する傾向というのは、特に日本で顕著なように思いますし、海外では「FF外」という意味にあたる単語を聞かないので、やはり「分類」する傾向が日本社会の中で強いことは気になります。

「障害のある人」と「ない人」。
「外国人」か「日本人」。
また、「血液型別性格診断」のような、科学的根拠に乏しいものも未だに影響力がある。
(※海外では、台湾など一部アジア諸国を除けば自己紹介に血液型を記載することはほぼないように感じます)

対して、幸福度が高いといわれるフィンランドなど北欧諸国では、
そういう「分類」が少ないという実感があります。

フィンランドらしさを表す象徴的な言葉に「hän(ハン)」というのがあります。これは中性語と呼ばれるもので、英語でいうhe(彼)とshe(彼女)の意味を含む“人”を表す言葉です。

https://at-living.press/culture/35857/

自分自身、北欧諸国に対するシンパシーを感じていて、北欧関連の書籍なんかをよく読むのですが、やはり「自分は自分、他人は他人」という意識があちらでは強いように思います。

そういえば日本では「イクメン」や「ワーママ」などキャッチーな言葉で人をカテゴライズすることがよくあるなと感じます。一方、フィンランドでは、男女の隔たりもなければ、枠組みにはめる習慣もありません。これがのびのびとした雰囲気を作り上げる材料の一つなのだと思っています。

https://at-living.press/culture/35857/

「こちらがフォローしたのだから、あなたもフォローしてね(圧)」みたいな、「フォロバ」の文化も、海外では恐らく日本ほどひどくはないような気がします。

人と同じことを求められる」同調圧力が強い日本社会では、やはりインターネット上でも、様々なことが問題になりました。

また、コロナ禍ではエンタメが「不要不急」と言われ、「マスク警察」がはびこり、居酒屋は感染を広げる要因かのように叩かれたことも記憶に新しい昨今ですが。

コロナ関連に限らず、多くの方が、日本社会に対して息苦しさを感じた経験をお持ちではないでしょうか。

「外」と「内」を明確に分けるのではなく、もう少しその境界線を曖昧にしてあげることが、これからの日本社会に必要な気がします。

さいごに:コメントについて。

ものが言える自由」を最大限に尊重したい私ではありますが。

私がこのnoteを利用しようと思った大きな理由のひとつに「表現の場」にしたいという考えがあり、「議論の場」とは思っていません。

noteは、クリエイターが文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォームです。だれもが創作を楽しんで続けられるよう、安心できる雰囲気や、多様性を大切にしています。

note公式 - 「noteの特徴、使い方、機能紹介」内より引用

HSP気質故、ちょっとしたことに傷つきやすい私なので、過去にSNSで心無い書き込みをされたことで、返信を制限した経験もあります。

無用なトラブルを避けるため、また自分の心を守るためにも、読者の方からのコメント欄については、申し訳ありませんが閉じさせていただいております。

もし、私のnote記事について何かお感じになったことがあれば、それはお手数ですがご自分のnoteで記事にしていただきたいと思います。

皆様にとって、このnoteが心地よい場所であり続けられるよう、私もいちユーザーとして努力したいと思っていますので、なにとぞご理解いただけますと幸いです。

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