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ベトナム縦断記。その12(ホアロー刑務所)〜思い込みプロパガンダと、デモクラチック遺構

ハノイの中心街の一角。
その昔、“ハノイヒルトン”とよばれ、国籍を問わず多くの人々が苦しみを抱いたのが、ホアロー刑務所である。

フランス統治時代に現地のベトナム人を収容するために建てられたことに始まるこの施設は、ベトナム戦争の時代、ベトナム人によってアメリカ兵を収容するため使われた。

この刑務所は町のど真ん中にあり、現在の外観は都会に佇む小劇場のようである。


塀の中はこじんまりとしており、規模としてはそれほど大きくはない。建物はどれも薄暗く、空気が重たい。
中には、足を拘束され収容されていた当時の様子を再現した人形などもあり、経験したことのないはずの過去の出来事がフラッシュバックしてくる。
女性や子供も収容されていたらしく、当時の様子がそのまま残された写真展示も数多い。

残虐な展示こそないものの、実際の悲劇の現場として、ギロチンなどが飾られている。
ベトナム人収容の展示の先には、アメリカ人を収容していたころの記録もある。米軍航空部隊のパイロットスーツなども飾られており、その後歴史に名を残すような軍人たちも、この”ハノイヒルトン”で収容生活を送っていたのだと言う。

ベトナム戦争という期間に限っていえば、ベトナム解放軍にとってアメリカとは憎むべき敵国であり、救国の精神の前に敗れた国である。
勝手な社会主義のイメージとして、こういう負の遺産のような場所では、

「アメリカに勝った!やった!やった!ベトナムは素晴らしい!」

などと喧伝しているものだと思っていた。

ところがそのような展示やメッセージはない。
もちろん、戦争に勝利したと言った類の記述はあるのだが、そこにアメリカや民主主義に対する”勝者の蔑み”のようなものは存在しない。
意外だった。

戦争から半世紀近く経過しているし、ドイモイ政策によって国際化も進んでいる。英語の展示パネルを見つめる欧米人も多かった。だからこそ、そのような過激な記述は控えているのかもしれない。

とはいえ、国家の姿勢としてそんな態度をとったとしてもおかしくは無いはずだ。
展示の主語になっているのは、戦争に勝ったベトナムという“国”ではなく、その戦争で犠牲になった名も無き“人”たちだった。

観光客達は悲しげな顔を浮かべて真剣に展示に見入っている。慰霊碑に祈りを捧げている人もいた。

想像していた社会主義的プロパガンダはそこには無く、人の命を想う温かみがあった。


ベトナムに着いて丸一日。この国に対するイメージが確実に変わったのはこの瞬間だった。

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更新しなかったのは、春の陽気に誘われていたからです。


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