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初心の記録 #2 ― ブラジルに帰った友達

友達との日々

中学3年生のとき、クラスで1番仲の良かった友達は、ブラジル出身の女の子だった。

宇多田ヒカル似の大人びた顔立ちで、陽気なサンバの国出身にしてはシャイな子だったけど、笑うとふにゃってなる優しい笑顔が可愛かった。

教室の移動時間や放課には他愛もないことしか話ばかりしていて、芸能人の話や最近読んだケータイ小説の話や、彼女が好きだった同じクラスの男の子の話を聞いていた。

学校が終わって家に帰ってもメールや電話で恋バナを聞いたりしてた。彼女はやっぱり少しシャイだったから、好きな男の子についての相談をされたらできるだけ乗っていて、背中を押していたのを思い出した。参考になったのかはとても怪しいけど。

彼女は小学校1年生のときに来日していたから、日本語がとても上手だった。家族と話すときはポルトガル語、学校では日本語と、2ヶ国語を使い分けていて、いつかポルトガル語と日本語の通訳者になりたいって話していた。家族と用事で出かけるときに、通訳をすることもあると話していた。一緒にいるときにときたま彼女の家族から電話がかかってきて、早口のポルトガル語で話すとき、いつもと違う彼女を見ているようで新鮮だった。

日本語を学ぶために、日本語検定を受けるって話をしていた。日本語検定が近づくと、「めぐ、分からないところ教えてよ」って頼まれて、昼放課には日本語検定のテキストを広げて彼女が疑問に思ったところに答えたりしていた。説明するのにそんなに難しい日本語の文法ではなかったけど、日本語を学ぶ人にとっては日本語の文法や単語のこういうところが疑問なんだ、って思って私も楽しかった。

1つだけ、彼女はいつも「4人」のことを「よんにん」と言っていたけど、「よんにん」って言うのがちょっと可愛かったから、それだけは訂正しなくてもいっか、って思って何も言わなかった。

彼女はブラジルの話をしてくれることもあって、おもしろかった。「日本はやっぱりどこも綺麗、ブラジルは汚いよ~」って話していた。「あと、日本人って真面目だね。ブラジルの男性は遊んでるよ」ってエピソード交えて教えてくれた(※友達の見解)。ブラジル特有の揚げ物や、その揚げ物店を経営する親戚の話を聞かせてくれることもあった。たまにその揚げ物をおすそ分けしてくれた。


高校入試とその結果

中学3年生の秋から冬になり入試が近づくと、一緒に勉強したり励まし合ったりしていた。

彼女は通信制の高校に行き、高校でも日本語の勉強がしたいと話していた。

私にも行きたい高校があった。地元の公立進学校だった。めちゃくちゃありきたりだけど、その高校で部活も勉強も学校祭もがんばって、青春の日々を送りたいと思っていた。

高校入試の前に私たちは中学校を卒業した。

私は彼女からずっと、好きな男の子についての相談を受けてたのに、私は卒業式の日になってやっと、好きな男の子がいるって話を彼女に初めて暴露したのを思い出した。よく考えたら、シャイなのは私のほうだったね。

5年後、成人式でみんなに会えるの楽しみだねって話したりしていた。

卒業式のあと、彼女は通信制の高校、私は普通科の高校の入試と面接を受けて、無事2人とも合格した。

「合格した」なんてあっさりと書いたけど、私については、2学期の内申点が志望校のボーダーよりも足りなくて、3学期でやっと内申点を上げて、それでも少しギリギリだったから、当日の入試に間に合うように必死に勉強して合格した。ついに志望校に通えるって決まったときは、嬉しかった。

でもその後、彼女からは残念な報告を受けることになってしまった。

家庭のとある事情で、中学卒業後彼女は働き、収入を得ないといけなくなった。高校の合格も辞退したとのことだった。

私は彼女になんて声をかけていいか分からなかった。合格辞退をすることになったのは、決して彼女のせいではなくて、家庭のために仕方のないことだった。


ファミレスでの呟き、英作文

中学を卒業してから、彼女は地元の餃子チェーン店でアルバイトを始めた。

中学を卒業してからも集まったりよくメールしたりした。家で遊んだりプリクラを撮ったり、地元のカラオケに行ったりボウリングをしたりしていた。集まって話すことは中学のときと何も変わらなかったけど、今度は彼女のアルバイト先の先輩についての恋バナを聞いていた。

同じ中学だったけど別の高校に通う地元の2人も交えて、4人でファミレスで集まったりして、話題が高校生活についての話になることもあった。

そのとき彼女が「いいなあ、高校。うちも行きたかった」と呟くことがあった。やっぱり私は、どんな言葉を返せばいいのか分からなかった。

彼女が高校に行きたかった気持ちはそんな呟きがなくても知っていた。中学3年生のとき、日本語を一生懸命勉強している姿を知ってた。知っているだけだった。

私は高校に入学してからずっと、剣道部での週6の部活と毎日の予習復習などの課題に追われる日々だった。彼女の気持ちを知っていて高校に通う私は、予定通り部活も勉強もしているはずなのに、何もしていない気分になった。

私が通っていた高校は、スーパーイングリッシュハイスクールというものの指定校になっていて、名前の通り英語教育にスーパー力を入れていた。高校2年生の夏休みには、「異文化」について英語でワード数枚分の作文をするという課題が与えられた。

そのとき私は、彼女が教えてくれた、ブラジルと日本のことを題に英作文をしよう、とひらめいた。書きたいことを日本語でまとめて、細かい文法は気にせずどんどん英語に翻訳した。ブラジルと日本の文化の違い、彼女が日本に来て思ったこと、中学3年生のとき彼女と過ごした日々……

そんな英作文をしても彼女に何の影響もないけれど、提出した英作文は担当の英語の先生に褒めてもらえた。進路指導室の隣の小さな部屋に呼ばれて、話したことのない外国人の先生から作文の内容について英語でいくつか質問された。

高校生活では教科書に載っている英文を機械的に音読する以外、自ら英語を話す機会などなかった。教科書も辞書もない状況で、私の口からスーパーなイングリッシュは出てこなかった。でもその先生は目を丸くして私の作文について興味津々に聞いてくれた。私も楽しくなって、思いついた英語を口にして答えた。

誰にどのような評価を受けたのかは知らなかったけれど、担当の英語の先生からは後日みんなの前で、小さなボールペンを渡された。みんなの前でボールペンをもらえたことよりも、私の大切な友達について、小さな部屋で先生から興味深々に質問されたことのほうが私は嬉しかった。

その後も彼女とは家に行ったり地元のいつもの場所で集まって、相も変わらず飽きずに恋バナを聞いていた。

私が高校3年生の0学期を過ごしているころ、帰国するための渡航費が溜まったことと、家庭の事情でのタイミングが合ったということで、彼女は家族とともにブラジルに帰った。

彼女がブラジルに帰るとき、「成人式には日本に帰ってきてよ~」って、ちょっとわがままだなって思ったけど言った。

それはついに叶わなかった。





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