見出し画像

初心の記録 #3 ― 平和より大切なもの

「集団的自衛権の行使容認」

高校2年生だった2014年7月1日、安倍内閣下でとある重要な閣議決定がなされた。

その閣議決定の内容は、「集団的自衛権の行使容認」だった。

7月1日火曜日、学校から帰宅するといつものようにリビングのテレビで7時のニュース番組が始まって、まずこの閣議決定に関するニュースが目に飛び込んできた。

▼2014年7月1日付の「集団的自衛権の行使容認」閣議決定の内容について

集団的自衛権とは:自国と関係の深い国が他国から武力攻撃を受けた際に、自国が攻撃されたとみなして、反撃することができる国際法上の権利のこと

2014年7月1日付の閣議決定の概要:これまで日本は、憲法9条に則り「自衛のための必要最小限の範囲を超える」として、集団的自衛権の行使を禁じる立場を取ってきた。この閣議決定では、憲法9条の解釈を変えることで、その立場を転換し、日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときには、自衛隊は他国と一緒に反撃できるよう集団的自衛権の行使を認める決定をした。

(補足)閣議決定におけるポイント:■ 集団的自衛権の行使にあたって、武力行使の発動要件として必要な新たな3要件を規定。具体的な3要件は、(1)密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、国民の生命・自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(2)国民を守るために他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使 とした。3要件を満たした場合の武力行使について安部首相は「憲法上はわが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置」とした。■ PKOでの「駆けつけ警護」や邦人救出のための武器使用も可能とした。 ■ 有事に至らない「グレーゾーン」事態に対処するために自衛隊が迅速に出動できるよう、出勤手続きの見直しを行うとした。

憲法第9条のとらえ方を変えたこの意思決定は、日本にとっても自分にとっても間違いなく注目すべき、重要なニュースだった。その日の新聞の1面には「日本の平和主義 転換」という見出しが、安倍首相の写真とともに大きくつけられていた。

その日の夜はこのニュースについて、概要を載せた1面記事から、より詳しい解説がなされた特集面、政治面の記事まで読んだ。普段政治面なんてあまり読まなかったけど、このときは読まざるを得なかった。私が「集団的自衛権」という言葉を聞いたのはおそらくこのときが初めてだったから、それは一体どのようなものなのか、歴史、憲法、自衛隊、隣国とどのような関係を持つものなのか、隅々まで一気に読んだ。


16歳の弁論

私が通っていた公立高校では、「勉強・部活・行事の三兎を追え」と言われていた。当時の校長先生が入学式でそう言っていたし、私も「うんうん!追うよね!」と思っていた。学校祭については、9月の第1週目に文化祭・体育祭合わせて4日間にわたって行われた。学校祭は文化祭から始まり、その初日には「弁論大会」というものが行われていた。

弁論大会は、選ばれた生徒が体育館の檀上で全校生徒と先生を前に弁論をし、順位を決めるというものだった。順位によってクラスに点数が与えられた。文化祭当日に弁論をするのは選考された5人だが、はじめに3学年の各クラスから代表を1人決め、弁論大会にエントリーする仕組みになっていた。

夏休みが始まる前の7月終わりごろ、私のクラスでも弁論大会にエントリーする代表を決める時間があった。

野球部の顧問だった無骨な担任教師はいつもの低い声で「誰か弁論大会に出たい奴はいるか?」と言って教室を見回した。

だいたいこういう時間は誰もすぐに手を挙げないし決まらない。

そのとき通路を挟んで私の右側の隣の席には、ショートカットで背が高くてクールな、バスケ部の女の子が座っていた。4月にクラス替えがあってすぐの番号順の席も隣で、音楽とラジオの趣味が合って仲良くなった子だった。

左にいる私のほうをちらっと見て、切れ長の大きな目と口パクで「ほら、めぐちゃんやりなよ」と合図してきた。今思い返しても彼女が何でそんな合図を送ってきたのか分からない。弁論出る人決まらないしなんかやってくれそうだし、それはきっと99%ノリで送った合図だっただろう。私はあんまり何も考えてなかったけど、やってもいいかなって思って、手を挙げた。結果的には彼女の目配せによって、弁論大会にエントリーすることになった。

エントリーにあたっては、弁論の原稿を提出しなければならなかった。何も考えずに手を挙げただけあって、どんな題材について原稿を書くかはあまり思い浮かばなかった。いくつか候補を挙げてみたけど、しっくり来なかった。

少し考えて、心の片隅に小さくあった、「集団的自衛権の行使容認」について弁論をしたいと思った。自分で考えをまとめるのも、誰かに聴いてもらうにも、少し難しい題材かなと思ったけど、やっぱりこれでいこうと思った。

原稿の本文では、あの日のニュースで見たように、集団的自衛権とは何か、どんな問題点があるのか、首相の発言における矛盾についてまとめた。そして自分の考えをまとめながら、歴史を踏まえて日本だからできることや取るべき立場は何かについて考えを巡らせた。っていうかそもそも「平和」とは何か?ってことも触れないと意味がないことに気づいた。原稿の1番最後では、自分が思う「平和」の定義と、日本が取るべき立場について触れた。弁論の制限時間は5分だったから、それに収まるように原稿用紙約5枚にまとめた。

弁論のタイトルは「平和より大切なもの」にした。この9文字は、集団的自衛権の行使容認に関する一連のニュースを見たり聞いたりしながら、ずっと頭のなかで点滅していた言葉だった。

画像1

▲1番上に記載されてるものが私

原稿を提出してからしばらくたって、4階にある自習用の教室に呼ばれた。廊下も教室の窓も空いていて8月の青空が見えて、とても開放的な空間だった。教室に入るととこれまで顔を見たことのない先輩たちがいた。あとから先生が来て、ここに集まったのは文化祭で弁論をするメンバーであることを告げられた。最終的に弁論をするのは5人で、2年生は私と理系の男の子の2人だけ、その子は帰国子女で年上だったから、最年少は私であることを知った。そのことになぜかちょっとだけ緊張した。ここに集まった5人は文化祭の名目で言えばライバルであるはずだけど、なんだか仲間な感じがした。おそらくみんな初めましてだったから各々照れくさそうだったけど、先生から連絡を受けて教室を出る前には、「がんばろうね」と声を掛け合ったりした。

画像2

▲弁論で使用した原稿

文化祭の初日、弁論大会当日。発表の順番は学年とクラス順だったから、トップバッターは私だった。前日に自分の部屋で練習はしたけど、全校生徒と先生の前で自分の考えを述べるのは初めてのことで、やっぱり緊張した。

9月の晴れた日、朝だったから体育館はそんなに暑くなかったけど、待ちに待った学校祭のオープニングに聞くには、正直眠い弁論だったと思う。

優勝したのは、ハーフとその外見への偏見をテーマに弁論をした、3年生の先輩だった。

弁論の反響

特に体育館を沸かすことなく弁論を終え、午後にはみんなと文化祭準備を始めた私だったが、それでもいくつか弁論をしたことへの反響があった。

弁論をした日の部活で、剣道部の男子キャプテンには「いやあ、めぐみちゃんがあんな前で発表するなんてねえ、びっくりだよ」とニヤニヤしながら絡まれた。そいつは、普段からニヤニヤしてる奴だったんだけど。

無骨な担任教師には「優勝じゃなかったけど、お前の弁論が1番良かったぞ」とこっそり言ってもらえた。その先生は1年生のときも担任だったけど、そんな風に声をかけられたことはあまりなかった。嬉しかった。

今でも覚えていることは、弁論大会が終わり体育館から自分たちのクラスに戻るとき、同じクラスのソフト部の女の子に話しかけられたことだった。「『集団的自衛権』って聞いたことあったけど、めぐめぐの弁論を聞いてどういうものなのか初めて知ったよ」って言ってもらえた。それは、弁論をしたことのなかで1番嬉しいことだった。

その女の子は移動教室の英語のとき後ろの席に座っていて、「体育のあとの英語ってだるい」みたいな話しかしたことなかったし、授業が始まる3分前に「ごめん、ちょっと写させて」って頼まれて、「いいよー」ってテキストを後ろに渡したりしてた。

だから弁論について、その子から声をかけてもらえたことは意外だった。自分が伝えようとしたことが、誰かが社会を知るきっかけに、ほんの少しでも影響を与えたんだなって思ったら嬉しかった。7月のあの日手を挙げたのはほとんどノリだったけど、ソフト部の女の子にもらった言葉によって私は、「自分が発信することの意味」なんかをいっちょまえに考えることとなった。


本投稿において2014年当時の「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定に関する記載をするにあたり、以下の記事を参考にしました。                               日本経済新聞(2014),「憲法解釈変更を閣議決定 集団的自衛権の行使容認」,『日本経済新聞 電子版』,<https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0103O_R00C14A7MM8000/>.




よろしければサポートお願いします!