遅すぎることはない フジ子・ヘミング
今日は音楽をテーマに書いてみようと思います。
先日、ピアニストのフジ子・ヘミングさんが天国に旅立たれました。
ご冥福をお祈りいたします。
フジ子・ヘミングさんのコンサートに何度か行ったことがあります。
彼女が出す、ピアノの音のきれいさに驚いたことを覚えています。
あの音を出せるのは、心が澄んでいないと出せない、と思いました。
彼女は、ミスタッチも多いけれど、
「批評家のためには弾かないし、まちがいを恐れ、
ただ正確なだけの味のないピアノだけは弾きたくないと、いつも心がけている。」
のとおりの演奏で、ミスタッチを超える音のきれいさに、
圧倒されたのを思い出します。
これは音楽の好みかもしれませんが、
他のミスタッチのない著名なピアニストのコンサートにも行きましたが、
私は、フジ子・ヘミングさんの演奏により引き込まれました。
彼女は、ピアニストとしては、かなり遅咲きで、
脚光を浴びたのは60代後半でした。
ヨーロッパで20年以上、一人で頑張り続け、
世界的指揮者のバーンスタインに才能を認められるも、
風邪で耳を悪くし、チャンスを逃してしまいます。
日本に帰国して細々とピアノの先生などをしながら暮らしていましたが、
(ここからは、私の記憶をもとにした情報ですが)
病院で(おそらく病と闘う人々のために)弾いていた時に、
医院のある方の目に留まり、そこからN H Kのドキュメンタリーで取り上げられ、
そこから、一気に華開いたのです。
それ以降、ずっと夢だったパリにも住むことができ、
世界中でコンサートをして、
最後の最後までコンサートの予定でぎっしりでした。
夢のような晩年だったと思います。
彼女のエッセイが手元にあります。
そこにある言葉を紹介したいと思います。
「最近読んだ小説に<不幸の分だけの幸せは、きっとある。どっちかが
先に片寄っているだけさ>っていういい言葉があった。
私の場合は不幸が先に片寄りすぎていたけど、
だから、悪いことがあっても必ず良くなるって思って
正直に生きることね。」
「何歳になっても、夢に向かえばいい。
遅すぎることはないと思っているわ。
やるぞと決めたときからがスタートなのよ。
欲ばらず、今よりもちょっと良くなればいいじゃない。」
何か元気のヒントになればうれしいです。
今日も読んでいただきありがとうございました。
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