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劇場

全てが上の空だった。

身の回りのことがフィクションのようだった。10代の僕の話だ。リアリティが感じられず、対する僕のリアクションも映画のように計算されたものだった。僕は自分に悲しむこと、怒ることを許可しなかった。本当の気持ちを認識する前に周りの空気に従い、あるいは「こうありたい自分」を演じた。
 末っ子長男としてふんだんに甘やかされた幼少期。何かを要求をする前に欲しいものは用意された。気持ちを言語化する必要などない。欲求はその発生前に満たされるから怒る必要もなかった。往々にして日本はそういうところがある。困った顔をしていれば他者が手を差し延べてくれる。そして意見することを良しとしない国でもある。だから空気に合わせるのが一番無難な行動だ。

こうして自分に嘘をついて大人になった僕は徐々に本来とはかけ離れた沖に流されてしまった。「何を考えているか分からない」とよく言われた。当たり前だ。僕だって分からないんだ。感情が動くや否や自動的に演技が始まる。時にはクールだと言われたがその冷静さは偽物だった。ガードを崩さない態勢は敗北に似ている。

そんな人間が表現することに向かったのは必然だっただろう。表現する手段は何でもよかった。結果的に音楽になったが、自分は純粋な音楽ファンではないという後ろめたさは今でもある。しかし、歌っているときに感じた解放感は本物だった。曲の主人公が代わりに悲しんでくれた。怒ってくれた。それを歌うことによって感情表現を擬似体験していた。決してプロ級ではなかったかもしれない。観客には届かなかったかもしれない。それでも心の霧を晴らしてくれたことは真実だ。

芸術は言葉にならないものを形にした結果だという。僕の場合は本来なら言葉に出来るものだが。でも出来なかったのだ。音楽の力を借りるしかなかった。

自我の芽生える多感な時期に僕はそれを拒否した。

おとなしい子と言われ続けたことが暗示となっていたのだろう。遠回りをして今ようやく自分の足元を見ることが出来ている。少し余裕が出来て周りを見ると、多くが足元なんか見ていないことに気付く。みんな空気を読んで行動して、沖に流されてゆく。自我がないに等しかった僕は彼らの気持ちはよく分かる。全てが上の空なのだ。流されるまま、あるのかも分からない港へ向かってゆく。

しかし、と思うのだ。それは大きなうねりとなって想像もつかない場所へ辿り着くことがあると。

日本に限らずヒトの社会には空気がある。仲間や国という空想がホモサピエンスを団結させ地球を制覇したように、バカには出来ない。ヒトの脳はその頃と変わらないという。いくら個性だと言ったところで僕らは集団でしか生きていけない。そこにはルールがあり空気がある。疑問を感じる度に立ち止まる人間はやがて仲間から外される。僕は最早みんなと団結など出来ないのだろう。大企業や悪徳政治家など巨大な力には集団で立ち向かうしかないが、個性だ個性だと言う僕らはバラバラだ。そのくせ凡人だから一人では弱い。

仏陀の死に際に弟子のアーナンダが言ったそうだ。
「貴方なしで私は何を頼りに生きてゆけば良いのですか」
答えは明確だ。
「何かにすがるのではなく、自分自身を頼りに生きていきなさい」

アーナンダは納得しただろうか。僕はそんなに強くない。信じるものが欲しい、助けてほしいときもある。そこを突かれて誤った方へ洗脳されるかもしれない。

何かにすがった結果大きな波となってゆく人々を見送りながら、もしかしたら向こうが正しかったのかもしれないと思う。彼らの去った後、霧の晴れた空を見上げる僕はもう上の空ではない。自分の感情がよく分かる。とても寂しいと分かる。

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