5/24 23:42~

最近私の心は穏やかで落ち着いているような気がする。


就活もやっといくつか内定をもらえて日常の中に小説を読む時間が生まれるくらいには心に少し余裕ができた。そして少しおなかには脂肪が増えた。
お風呂は朝に入ることが多くなった。新しいバイトに行く前はまだ憂鬱だ。


元恋人に新しい恋人ができていた。
数カ月前、最後にふたりで会った時には苦しそうな涙を流して
「もう恋はできない気がしている」と言った彼は無事に新しい恋ができたみたいだ。めでたいことである。



人間なんてそんなもの。何度も忘れ何度も実感する。
そうきっとこの世界に「絶対」はないのだ。「当たり前」もなければ「あり得ない」もない。



「運命」は信じないくせに、元恋人の「絶対」は信じていた私も所詮、”そんなもの”の一つだ。







「私には音楽しかないから好きなものを仕事にしたい」
そんな熱意を胸いっぱいに詰め込んで挑んだエンタメ業界への道からも今では逸れに逸れて、対極ともいえるかもしれないエンジニアを目指している。

離れると決心していた部活からも、彼からも、結局離れられずに今も私は変わらない笑顔でそこに居る。

何をやっているんだと思うこともある。例えば今日みたいな夜に。
私は確実に日々変化し続けているはずなのに、ふとしたときにああ私は何も変われていないじゃないかと絶望する。
かつてあの人を責めた言葉が自分自身に返ってくることが心底恐ろしい。
誰かに指を差されることがこんなにも怖い。






わたし本当はずっと間違い続けているのかもしれない

そんな虚無感と戦う夜が未だにある。
話は逸れるが、絶望は苦しみでも悲しみでもなく疲労に似ているかもなと最近思った。


虚無感を倒すには希望しかない。期待ではなく。
わたしは自分に希望を持てるようになりたいな。いつか。


『どうしても生きてる』朝井リョウ
電車に揺られている時間にだけ開かれるその短編集は漸く4つ目に差し掛かるところだが、ここにも思わず目を背けたくなるような静かな絶望の話が続いている。



「健やかな論理」
私はいつも論理に外れたことが怖くて仕方ない
論理の破綻に安心する主人公と違って私は論理に安心したい側の人間だった。でも論理を信じているから私はこうして生きているのかもしれない、とも思った。


賢さとは理性だとわたしは思う。
でも感情が愚かだとは思わない。美しくて、恐ろしくて、未知なもの。
私は賢くありたいと思う一方で感情に何のフィルターもかけずにそのままでありたいと切望している。


私は怒りも悲しみも喜びも楽しみも全てが理性的で論理の下に生まれる。
ときに正しくはないかもしれないけれど、いつだって私の感情には意志がある。

でもいつか無条件に誰かを信じてみたい。
私が唯一諦めきれない感情は安心だから。

私にとっての幸せは誰かを心から信じることだと、今は思っている。




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