夢破れて目がさめる。絶望こそ望み。今この瞬間に全力を注ごう。
この記事の最後に「夢に敗れてからが本当の人生の始まり」と書きました。
その続きです。
夢って、実は「怒り」と「欲望」と「迷い」だったりしません?
「夢」といえば聞こえはいいけど、実は「欲」と「怒り」と「迷い」の集合体だったりしません? たとえば。
会社の上司がうざい。賃金低い。辞めたい。(怒り)
もっとおかね欲しい。休みたい。遊びたい。(欲望)
上司に叱られて、低賃金に甘んじているおれは本当のおれじゃない。小説を書いて、大ヒットして、漫画化アニメ化されて、テレビのドキュメンタリー番組で取材されたりするのが本当のおれだ。(迷い)
怒り、欲望、迷い。原始仏教でいう「三毒」ですね。あれが欲しい。これはいや。夢って、たいがいはこんなものです。
さっさと絶望しよう。こじらせる前に。
夢があるなら挑戦してさっさとあきらめるのがいい。「嫌われる勇気」で哲人はそう言い切ります。
夢。望み。可能性。ポジティブな雰囲気がありますけど、実はやっかいです。これらを抱えたまま中年になると、こじらせるから。リアルな生を生きられないから。
だから、夢には挑戦してさっさと破れてしまいましょう。万が一、かなえばもうけものですね。
今この瞬間に全力を。そこから本当の「望み」が見えてくる。
夢や望みが無い状態は「絶望」です。この言葉はネガティブな意味で使われますけど、実はポジティブです。
夢、望みを絶ってこそ、今この瞬間を全力で生きられるから。
目の前の、今やらなければならない、嫌いな、つまらない仕事。全力で、それに打ち込めるから。
そして、実はそこから、本当の、人生を変えるような「望み」が見えてくるかもしれませんよ。
長くなったので続きます。
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