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【大内家の野望 新生】 第6話:全四国統一戦 〜宇摩の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
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▼第6話:全四国統一戦 〜宇摩の戦い
■まずは四国の西半分を我が手に
大内家が1555年1月に薩摩国の島津家を、1556年11月に肥前国の龍造寺家を滅ぼしたことで、ついに大内家が全九州統一を果たした。
その間、北四国では畿内・東四国を支配下に置く大大名・三好家との攻防が繰り広げられていた。第4話でもお伝えした、川之江城(愛媛県四国中央市)をめぐる激しい攻防である。
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大内家は九州の大半を平定したといっても領地が広大すぎて、畿内と東四国というギュッと凝縮された地域に勢力を張る三好家のほうが有利だ。しかも大内家が三好家と接するのは本拠から遠い川之江城付近だけであり、多面作戦も使えない。
島津家や龍造寺家と戦っている最中は、周辺の同盟国である南予の西園寺家、中国の毛利家、そして従属勢力である土佐の長宗我部家の援軍の力を借りながら、なんとか四国唯一の所領・湯築城(愛媛県松山市)を城主の弘中隆包が守り抜いていた。しかし限界が近い。長宗我部家も援軍で兵力を消費して国力が低下すれば、三好家はあっという間に土佐を侵略してしまうだろう。
もう四国領を守るのは無理か……と思っていた矢先、家臣の阿蘇惟豊が「長宗我部家を吸収するべきでしょう。滅ぶ前に手を差し伸べるが主筋たる当家の役目かと」と、臣従勧告を進言してきたっ。
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日向国の伊東家を吸収したアレか。長宗我部家を全部引き受けることになれば、有能な一族や家臣が傘下に入るばかりか、土佐国の諸城も大内領になるので、三好家との戦争を多面的に展開できるぞ。
島津家を滅ぼして龍造寺家と戦っている最中に、西園寺家との同盟期限が切れた。大友家との戦いや湯築城の守備に援軍を出してくれた恩はあるが、三好家と結びついてしまうと四国内で挟撃の憂き目に遭ってしまう。ここは滅ぼしてしまうしかない。
黒瀬城(愛媛県南予市)へ湯築城から弘中隆包隊が、そして豊前国の臼杵城(大分県臼杵市)や府内館(大分市)などから東九州部隊が海を渡って攻撃。同盟者の毛利家や長宗我部家には黒瀬城攻めを手伝ってもらうのではなく、三好家の川之江城を攻めてもらって、弘中隆包が湯築城を留守にしている間に湯築城に向かわないように足止めをしてもらった。
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援軍続きで西園寺家は比較的弱っており、大内家の猛攻に成す術もなく、わずか2ヶ月で黒瀬城は落ちた。こうして、西園寺家は滅亡したのであった。伊予国全域を手に入れたことで、九州から四国への派兵もスムーズに行きそうだ。
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そして阿蘇惟豊が交渉していた長宗我部家の臣従が完了し、当主の長宗我部国親をはじめ長宗我部一族や家臣団は全て大内家に従属吸収、そして土佐国の4城もことごとく大内家の支配下に収まることになった。
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これで西四国は大内家のものとなり、四国は大内家と三好家の二強体制となった。そしてちょうどその頃に、龍造寺家を滅亡させて全九州統一を成し遂げたので、いよいよ三好家との全面戦争に集中できる。
三好家は畿内からも兵をガンガン回してくるので、まずはそれを食い止めたい。同盟を結んだ足利将軍家には畿内を、赤松家には洲本城(兵庫県洲本市)などを攻めてもらう。東から攻められたら、きっと西の戦線は手薄になるはず。足利将軍家は最弱で大して力にはならないが、東から攻めておくということに意味がある。
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そして東で侵攻騒ぎを起こしておきながら、西からは山口・西四国の兵を結集させて川之江城へ総攻撃だ。長宗我部家から受け継いだ土佐国はまだ国力が弱いので、温存。その代わり、毛利家にも川之江城攻めを手伝ってもらう。
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こうして始まった川之江城奪還作戦だが、一つ当てが外れた。足利将軍家や赤松家が畿内や淡路島を攻めてくれていることで、三好家は西の戦線を弱めるかと思っていたのだが、三好家はお構いなくどんどん西へと全軍を送り込んできて、川之江城の防衛はおろか、まだ国力回復に努めている土佐国へ侵攻してきて、本山城(高知県本山町)を急襲。これはまずい。
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まだ1000程度の兵しかいない本山城に、三好家随一の名将である松永久秀が率いる20,000の軍勢が攻め寄せる。大内軍の主力は川之江城に向かっているので、すぐには援軍も送れない。城を守る城主の島津日新斎と長宗我部元親に、なんとか頑張ってもらうしかない。
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■「宇摩の戦い」の戦果が、畿内にまで大きく影響する
川之江城を守る三好家の重臣、西讃岐守護代の香川元景が、大内義隆率いる本軍を迎撃すべく城から出てきた。ここで負けてしまっては四国統一は遠のいてしまう。絶対に負けられない戦いだ。
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川之江城からは元山城攻めにも兵を割いたらしく、香川元景軍は6947。大内義隆軍は19259と数は3倍以上で優勢だ。勝てそうではあるが、その後の川之江城攻めのためになるべく兵を失わないようにしよう。
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「宇摩の戦い」開戦。渓谷の向こう側にいる三好軍は5部隊。2ヶ所の退き口を守っている。こちらは7部隊もいるので展開がしやすい。
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左右に展開しながら相手を翻弄して、崖の上や下などにあった要所を先に占領。相手がそれぞれの前方の部隊と戦っている隙に、崖の中から躍り出た先鋒隊が後方の退き口を急襲。これを落とせば勝利だ。
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退き口を失った香川元景軍は、2部隊が壊滅状態となって敗北。大内義隆軍はなんと、減少兵力がわずか300程度という最小被害にて大勝利。
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大内軍はしばらく三好軍に劣勢を強いられていたからか、「宇摩の戦い」で大内軍が大勝すると威風が発生し、奈良の筒井家、和歌山の鈴木家、大阪の本願寺家など畿内の諸勢力が「三好家に勝利したと…? 大内家、なかなかの食わせ者ぞ。弱者と侮るは誤りであったか」と、大内家にいきなり注目を始めた。さらに三好家からもいくつかの郡が三好家を見限って大内家に寝返ってきた。これは大きい。
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三好家大敗を機に、三好家の畿内の所領を筒井家、本願寺家、足利将軍家たちが次々に蹂躙。どの畿内の城も西の大内軍との戦いに兵を回していたために城兵が数百程度しかいない。それでも三好家は、畿内に兵を回さずに大内軍との西の戦いに全力を注ぐ。
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淡路島を攻めてくれていた赤松家が援軍を壊滅してしまい撤退し、援軍を頼むにはしばらく時が必要だ。宇摩から逃げ帰った香川元景が守る川之江城を早く落とさないと、本山城への援軍も厳しい。できる限り兵を送り込む。
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ようやく川之江城を攻め落とす。以前に瞬時に攻め取られてから3年近く経ってやっとの奪還である。しかし、これから救援しようとしていた本山城が松永久秀率いる三好軍1万に攻め落とされてしまい、土佐国への侵攻を許してしまった。土佐国が危ない。
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赤松家に続いて、勝龍寺城(京都府長岡京市)を攻めてくれていた足利将軍家も撤退。松永久秀隊はさらに本山城から西へと占領地を広げていく。土佐国の諸城はまだ兵が回復していないので、このままでは岡豊城(高知市)まで攻め取られてしまう。本山城を取り返したいが、ここはうまく計略を図るしかない。
■東四国を平定して三好家を四国から追い出せ
本山城や松永久秀隊はあえて無視して、その奥の白地城(はくち城/徳島県三好市)へ西四国の全軍を差し向ける。中村御所(高知県四万十市)からもあえて本山城のすぐ横をすり抜けて白地城へ向かわせるのだ。肉を斬らせて骨を断つ作戦に出た。
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後続の大内軍が続々と白地城を攻める。さらに川之江城主となっていた戸次鑑連は天霧城(香川県善通寺市)を攻め、十河城(香川県高松市)を同盟者の赤松家に攻めてもらう。同時に3城を攻め立てられたら、さすがの松永久秀もなんらかのアクションを示すだろう。
中村御所を発った新納忠元隊が本山城を攻めるふりをしながら、その直前で白地城へと転進したことで、とうとう本山城に入っていた松永久秀隊が本山城を出て白地城の救援に向かった。チャンスだっ。
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松永久秀が白地城救援に向かって本山城を離れ、本山城の城兵は600ほどしかいない。ここで近くの岡豊城で4000近くまで温存していた兵、さらには九州からも兵を回して総攻撃を仕掛ける。九州は遠すぎてさすがに兵糧が足りないが、攻めるぞというパフォーマンスである。
さすがに600の城兵では守りきれず、城主の佐武義昌が降伏し、本山城は無事に取り返した。三好家を土佐国から追い出せたぞ。
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さらに後方の十河城や勝瑞城(徳島県藍住町)などでも、一揆の扇動や城主の闇討など、謀略を仕掛けまくる。東からも西からも攻められ、あちこちで一揆が起こり、三好軍は領内でてんやわんや。ふと気がつくと、以前は全国3位の強さを誇っていた三好家は、全国10位にまで転落していた。
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君主・三好長慶のいる岸和田城(大阪府岸和田市)など畿内も危なくなった三好家は、今になって松永久秀隊を畿内に戻すなど慌てるが、もうここまで来ると立て直しは無理だろう。容赦なく東四国を制覇させてもらおう。
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松永久秀隊など主力が畿内へと戻ったらしく、三好家はもはや四国を守る抜く体力はない。白地城を攻め落とす。武勇96という作中6位の猛勇を誇る山中鹿之介が白地城におり、大内家に降ってきた。毛利家に尼子家を滅ぼされて、山陰からこんなところに流れ着いていたのか。
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続いて、戸次鑑連が攻めていた天霧城も落城。さらには、赤松家が攻めてくれていて弱体化していた十河城も、鍋島直茂隊が攻め落としてくれて、讃岐国はことごとく大内家の支配下に。残る四国の城は阿波国の勝瑞城だけだ。
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三好家を四国から追い返していることで、今度は畿内にまで手が届くようになった。奈良の筒井家や和歌山の鈴木家などとも親交を結ぶが、尾張国(愛知県)から京都にまで勢力を急拡大してきた織田信長の織田家の存在も見逃せない。なにせ『信長の野望』の主人公だ。西日本の攻略のためには織田家と事を構えるのは得策ではない。織田信長は大内家に対しては「不信」の姿勢のようだったが、事前にコツコツと親善を積んでいたので、同盟を結ぶことに。
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新たに同盟者となった紀伊国の雑賀城(和歌山県和歌山市)の鈴木佐大夫率いる鈴木家(雑賀党)も手伝ってくれて、勝瑞城を落とすことができた。これで大内家は、九州全土に続いて四国全土をも統一を成功させたのである。三好家に川之江城へ攻め込まれた時は絶望的だったが、あれから4年で四国全土を手にできるとは。
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九州統一・四国統一を果たしたら、次はついに当初からの目標であった中国地方の雄・毛利家の攻略に取り掛かりたい。とりあえず、畿内へと追いやった三好家はどうなっているのかを見ると……。
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畿内に広大な勢力を誇っていた三好家の所領も、筒井家や本願寺家などに食い尽くされてしまっていて、いつの間にか本拠地の岸和田城をはじめ、虫食い的に3城を残すだけになってしまっているではないか。あの西日本最強だった三好家が、いまや全国12位、最大兵力2万程度の弱小大名に成り下がっていたとは……。
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四国全土を手に入れた大内家。しかし、淡路島の洲本城にはまだ大内家を翻弄した三好家の名将・松永久秀がおり、その先には近畿や播磨などの勢力との戦いも待っていることだろう。毛利家もどんどん中国地方で勢力を広げている。さて、ここからどのように西日本を攻略していくか……。
【武将名鑑】(6)長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)
土佐国の戦国大名。土佐国の一雄だった父・長宗我部国親から家督を継ぐと、その軍略で土佐一国を手中に収め、阿波国・伊予国・讃岐国をも攻略して四国統一を完成させる。畿内を平定した豊臣秀吉と交戦して降伏し、土佐一国を安堵され、豊臣政権下に入る。
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