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【大内家の野望 新生】 第5話:龍造寺家討滅戦 〜平戸城の戦い

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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』

今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。

・コーエーテクモゲームス『信長の野望 新生』

・前回の「大内家の野望 新生」第4話

▼第5話:龍造寺家討滅戦 〜佐嘉城の戦い


■長きに渡る同盟勢力と、九州の覇権を賭けて激突

北四国で大国・三好家との激闘が始まる中、西九州の龍造寺家との同盟期限が切れた。龍造寺家の総兵力は我が大内家の4分の1ほどに過ぎないが、いざ戦いとなると三好家との挟撃で苦戦するだろう。

大友家や島津家の征討に協力してくれた同士ではあったが、ここは後顧の憂いを振り払っておかねばなならない。しかも、三好家との攻防が激化して兵力が必要な今は、なるべく兵力を消費しない戦い方でいく必要がある。

龍造寺家は島原半島にまで勢力を伸ばしており、天草を使えば船で島原半島へ渡ることができる。そこで南九州の兵力を結集して日之江城(長崎県南島原市)へと総攻撃。龍造寺家が約30,000の総兵力なのに対して、島原半島を目指すのは約68,000の大軍勢だ。

総勢6万以上の大内軍が、島原の日之江城へと北進。

この島原半島急襲に慌てた龍造寺家は、各城から兵をかき集めて島原城へと向かわせている。こちらは6万以上とはいえ、敵が約3万も集まれば死闘は必至である。だが、それらの各城にはわずかの城兵しか残らない。龍造寺の援軍たちが島原半島に入るぐらいまで傍観しておいて……

島原半島急襲に慌てた龍造寺家、各城からどんどん援軍を派遣。

日之江城を攻めながら、今度は豊前国や豊後国など東九州の城の軍勢を4万ほど集めて、城兵450と援軍派兵で手薄になった柳川城(福岡県柳川市)を狙って進軍。

東九州の軍勢が、手薄になった柳川城を狙う。

さらに北九州や山口などの軍勢27,000を、今度は北の伊万里城(佐賀県伊万里市)へと向かわせる。伊万里城も城兵が400ほどしかいない。手薄な城を狙った多面作戦である。

北の伊万里城には、山口・北九州の軍勢で攻めてもらう。

念には念を入れて、離島の金石城(長崎県対馬市)にもわずかだが兵を送る。ここは遠いから、大軍で攻めるとなると兵糧の問題が大きい。ここに逃げられると厄介なので、少しでも逃げ道は絶っておきたい。

遠い離島にあって厄介な対馬の金石城。一応攻めておく。

いきなりの四面急襲作戦に、龍造寺家の領内はてんやわんやの大騒ぎで塀の移動が大混乱。そしてそんな時、その労苦のせいか寿命のせいか、高齢な当主の龍造寺家兼が病死してしまった。家督は曾孫である若き豪傑・龍造寺隆信が継いだが、当主が変わると家臣たちの忠誠度もかなり下がる。ここは攻め時である。

当主・龍造寺家兼が死去。龍造寺家は龍造寺隆信が率いることに。

そして戦いの最中、西四国の西園寺家との同盟期限が切れてしまった。西園寺家もまた長く共闘してくれた仲だが、三好家との全面戦争になると面倒な存在となるだろう。龍造寺家同様、これで同盟は終了としよう。面倒が起こる前に、早く龍造寺家を始末せねば。

西園寺家との同盟期間が終了。宇喜多直家がいつの間にか参謀に。

柳川城急襲に備えて、島原半島から戻った龍造寺軍5000が柳川城へと入ったタイミングで、龍造寺家の本城である佐嘉城(佐賀県佐賀市)を、勢福寺城(佐賀県神埼市)に温存していた陶隆房率いる3000騎が急襲。佐嘉城には城兵がたった120しかいない。実は佐嘉城が本当の狙いだったのさ。

龍造寺家の本拠地・佐嘉城には立った120の城兵しかいない。

本拠地である佐嘉城が落城寸前なのを聞いてか、日之江城の城主・有馬晴純は降伏を申し出て開城。柳川城や伊万里城に援兵を戻したことで、天草からの攻撃に耐えられなかったようだ。

日之江城の城主・有馬晴純が降伏。島原半島は押さえた。

そしてわずか3000の陶隆房隊が、本拠地・佐嘉城を難なく落とした。佐嘉城は西九州の中でも随一の石高を持ち、商業値も高い。ここを落とされたら、もう龍造寺家はまず立ち直れないだろう。

龍造寺家の本城・佐嘉城を少数で落とすことができた。

本城の佐嘉城を失って分断されてしまった龍造寺家。城兵が少ない佐嘉城や勢福寺城などに気を配りながら、あとは各城へ総攻撃だ。日之江城を落として島原半島を制した南九州からの軍勢は、さらに北上して大村城(長崎県大村市)を強攻する。

龍造寺家分断。柳川城、伊万里城、大村城を総攻撃。

龍造寺家の討滅が成功しそうなので、次の三好家との全面戦争に備えて、三好家の北側や東側にある勢力とも親善を重ねておく。足利将軍家にも取次武将を張り付けたし、播磨国(兵庫県南部)の赤松家や山陰の山名家などとも同盟を一応結ぶ。

足利将軍家、本願寺家、赤松家などとも同盟を結ぶ。

大内義隆自ら、柳川城を攻め落とす。これで筑後国一帯も我が大内家のものになった。残る龍造寺家の城は西側の4城だ。

柳川城落城。これで筑後国平定が完了。

そして、日之江城を攻め落とした南九州の軍勢が次に取り掛かった大村城も、降伏して開城を申し入れてきた。

大村城も落城。城主の鍋島直茂が降伏を申し出てきた。

大村城の城主であった名将・鍋島直茂が恭順。「歴史発想源」の「佐賀戦乱篇」で主人公として描いた、後に佐賀藩初代藩主となる九州屈指の智将である。当主・龍造寺隆信の義弟という間柄でもあるので最後まで恭順しないかもしれないと不安だったが、前当主・龍造寺家兼の死去によって忠誠度がかなり下がっていたようだ。

名将・鍋島直茂が恭順。こちらこそよろしくね。

鍋島直茂はその後も我が大内軍の参謀の主力として活躍していくことになる。さっそくバンバンと進言してくる。伊万里城の手前の唐津あたりまで制圧したことで、対馬の金石城へも壱岐経由で兵を回せるようになった。

対馬の金石城も攻めていく。鍋島直茂もノリノリ。

柳川城、大村城を落とした各軍勢が伊万里城へと集結。合流した大軍勢を前に為す術もない伊万里城は、あっさりと陥落した。今でいう佐賀県の全土が制圧できたことになる。

伊万里城も陥落。これで佐賀県も全て制圧だ。

当主・龍造寺隆信は西方の平戸城(長崎県平戸市)へと本拠を移す。九州第2位の勢力を誇っていた龍造寺家も、いまや残すは2城のみ、最大兵力こそ6500だが現在の兵力は減りに減って1958しかおらず、兵力も威信も国内最弱にまで落ちた。最期の時を与えることにしよう。

龍造寺家は国内最弱の兵力にまで落ち、もはや虫の息。

対馬の金石城が陥落。ここはとにかく遠いので、最終的に金石城に逃げられて最終決戦となると兵を回すのが大変だと思ったので、先に金石城が落ちてくれてラッキーだ。これで平戸城攻めに集中できるぞ。

対馬の金石城が陥落。とにかく遠くて、今作最大の難所と言ってもいい。

そしてついに、最後の城である平戸城を攻め落とす。

最後の龍造寺家の城、平戸城もとうとう陥落。

龍造寺家は全ての城を失い、大名としての龍造寺家はここに滅んだ。そしてそれは同時に、大内家の九州完全統一を意味する。九州の全ての城が、我が大内家のものとなったのである。これで東進に集中できるぞ。

龍造寺家は全ての城を失い滅亡。大内家が九州統一に成功。

最後まで残った龍造寺家の家臣たちも全て、大内家で召し抱えることに。当主の龍造寺隆信は武勇88、統率87の猛将である。まだ28歳と若く、これからの活躍が期待される。そもそも史実でも、龍造寺隆信の「隆信」の名は大内義隆の「隆」の字による偏諱であり、縁のある人物なのだ。

ところが、この龍造寺隆信がずっと後にかなり面倒な問題を引き起こすことになるとは、この時は予想できずにいたのである……。

当主の龍造寺隆信を含め、龍造寺家の遺臣たちを召し抱える。

こうして九州統一を果たした大内家は、40城を手に入れ最大兵力138470となり、それまで全国トップだった総兵力96795の北条家を抜いて圧倒的首位へと躍り出た。

九州全土を制圧し、ついに大内家は全国1位の大大名へ。

これから雌雄を決しなければならない全国3位の三好家とも随分差がついた。しかし四国は九州からは遠いため九州全土の兵が頼りになるわけではない。また九州制圧で兵力が減った今は三好家との兵力差がさほどない。

後方の他勢力を全て吸収して後顧の憂いがなくなった今、いよいよ大内家は本格的に四国統一を目指して動く……!

(第6話へつづく)


【武将名鑑】(5)鍋島直茂(なべしま なおしげ)
肥前国の龍造寺家の武将。若き当主・龍造寺隆信の生母が鍋島家の父に嫁いできたため、龍造寺隆信と義兄弟となる。今山の戦いで大友軍の大軍勢を撃破する優れた智勇を見せ、龍造寺隆信の死後は龍造寺家を守り抜いて、豊臣秀吉から龍造寺家に代わって肥前を任され、後に佐賀藩初代藩主となる。 


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