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霊柩車と黒猫のジンクス

黒猫が自分の前を横切ると縁起が悪い。
霊柩車を見たら、親指を隠さないと親の死に目に会えない。
てるてる坊主を逆さに吊るすと雨が降る。
雷が鳴ったら、おへそを隠す。

小さいころ聞いた、こういう背筋がそわっとするようなおまじない? 呪い? ジンクス? が忘れらないのはどうしてだろう。

お母さんから教えてもらったジンクスもあれば、私の場合、霊柩車は友達から教えてもらった。真っ黒な車が通ったとき、親指を内側にしてぎゅっと拳を作ったのを見て「何してるの?」と声をかけた。

すると、「え!? 知らないの!?」と言われてから、「実はね」と教えてもらったのだった。

友達はこのジンクスをお母さんから教えてもらったのだろうか。何気なく「あ、そういえば」のタイミングだったのか、彼女のお母さんも親指内側拳をしていたのを見かけて教えてもらったのか。

長く使い古されたジンクスや迷信は、やっぱり長く使われるだけあるなあ、と思う。

それは、こどものころに教えてもらったというのもあるかもしれないけど、今でも覚えているし、きっとこれからも忘れない。足し算や、九九と一緒だ。

もしかしたら私も、こういうジンクスを自分の子どもに話すかもしれない。たとえば、夜更かししていたら「早く寝ないとお化けがくるよ」みたいなやつ。

大人になった今では、漫画を一気読みした夜更かしでやってくるのは、だんだん明るくなる空と明るさに気づいたときの絶望だけだと知っている。

そして、夜更かしが最高に楽しいことも知っている。大人ってずるいなあ。

ただ、私は今でも霊柩車を見ると、つい親指内側拳を作って車が通りすぎるのを待ってしまう。意味がないことは知っているけど、もしも、を考えてしまう自分を慰めるためにそうしている。

もし親の死に目に会えなかったとき、「あ、あのとき親指隠さなかったからだ……」と言い訳してしまいそうな気が今からしているからだ。もはや癖みたいなもので、しないと気持ち悪いという感覚に近い。

親指を隠さなかったせい、なんてことはないだろうけど、でも、ジンクスのせいにはしたくない。変かな。

ただ、黒猫に関しては、「お! やった!」と、ジンクスとは逆の気持ちが起こる。それは、大学のときのゼミの先生が黒猫大好きだったから。黒猫を見るたびに、お茶目で、可愛いその先生を思い出している。

ありがとう、ジンクス!


”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。