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自転車と、九九と、逆上がり

今の私は、ほとんど小学生のときにつけた経験で生きている。その代表格が、自転車と九九だ。ガラガラガラガラッ! とアスファルトを削る音を爆音で響かせていた補助輪付き自転車から、いつの間にやら支えがなくても自転車が乗れるようになっている。

いつの間にやら、とか言っているけど実際はちゃんと練習した。実家から徒歩5分くらいで行ける公園には原っぱがあって、頭にはヘルメットを、膝と肘にはサポーターをつけて練習した。そのときのヘルメットなんてもう重くて重くて、まるで頭に重心があった赤ちゃんのときに戻ったようだった。ちなみに膝と肘のサポーターは、ママさんバレーをしていた母が貸してくれたのだった。ぶかぶかで、ちゃんとハマっていなかったけど、「サポーターがある」という気休めが重要だった。だって、絶対転ぶし。

お母さんだったか、お父さんだったか、はたまた先に自転車に乗れるようになっていた姉と一緒だったか、誰と公園に行ったのかは忘れてしまったけれど、最初は支えてもらいながらペダルに両足を乗せた。右に左に、ハンドルは首を振った。今ならわかるけど、右左に振らせていたのは私だったのだ。そして、結局操縦がきかなくなってグオンと右に曲がっちゃって転んだ。えーん、難しい...…。「ほらほら、もう1回!」一緒に行った誰かが言う。自転車、怖すぎる。だけど、補助輪ガラガラは卒業したい。だってうるさいし。カッコ悪いし。

そんなふうにして、数日練習を重ねた。もう一度右に転んだし、左にも転んだし、転ぶ前に「むりーーーー!」と言って両足をついて転ばずに済んだときもあった。そして気がつけば、いつの間にやら乗れるようになっていた。乗れた瞬間は、あんまり覚えていない。ただ、スススス~とハンドルが私のいうことを聞いてくれるようになったのだった。

もう1つ、九九は小学2年生の義務教育で「いちいちがいち」「いちにがに」と暗唱させられた。めんどくさっと当時の私は思っていたけれど、おかげで今掛け算に助けられることは多い。しかも、掛け算がわかれば割り算もわかるし、意外にも算数の基礎の大元を九九は担っていたのだと大人になってからわかった。


ただ、今思い出すと、小学生のときにせっかく練習までしたのに、大人になってできなくなってしまったことの多さにも目が向く。その代表格が、逆上がりだ。大人になって逆上がりができないからといって困ることはほとんどない。特技にもならないし、「逆上がりができないんですよ」と疲労する場面だってない。ないけど、せっかくあんなに頑張ってできるようになったのに。大人になっても自転車は乗れるままなのに、どうして逆上がりはできなくなってしまったんだろう? と、思ってこの前散歩に行ったときにたまたま見かけた公園にあった鉄棒を両手で掴んだら「あ、できるかも」と思った。

ちょっとだけ助走をつけて、えいや!

つま先が地面を蹴り上げ、グオンと足が鉄棒に絡む。

「え、回れた」

なんだ、私まだ逆上がりできたんじゃん。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。