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「春」という、間抜けさ

だんだんと春めいている。ここ最近、外に出かけるために玄関のドアを開けてむ「きいぃぃぃい! 寒い!!」とならない。ついこの間までは、全然なってた。周りの住居に迷惑にならない程度のモスキート音で、「きいぃぃぃい!」と言っていた。だけど、ここ最近は全然ならない。「え、あ、思ったより」と、ちょっと間抜けな声が出る。

いま、「間抜けな」とそのときのことを思いながらパっと書いたのだけど、まさに春って「間抜けな」なのだ。気温が、私の思考も、言葉も、気持ちも、歩き方さえも、とろりとしてしまう。徐々に、徐々に日本が春に向かっていて、なんだろう、穏やかさっていうのか、いろんなものが芽吹いていく感じもとろりとしている。

のくせに、だ。そのくせに、夜になると急に寒い。急に、「きいぃぃぃい!」になる。その寒暖差というか、テンションさに頭がおかしくなりそうになる。そこに花粉症が(私は全然花粉症ではないのだけど)あったりすれば、もう発狂してもおかしくないよなと思ったりする。

ピンク、グリーン、イエロー、スカイブルー。明るい色を身に纏う人を多く見かけると、春だなと思う。最寄り駅の桜が咲き始めて、写真を撮っている人を見かけると、春だなと思う。SNSに「入」の漢字がついた催しものが流れくると、春だなと思う。制服に、スーツに、黄色い帽子に、着られている人を見かけると、春だなと思う。スーパーで「春」がついた野菜が並んでいるのを見ると、春だなと思う。

ああ、そうだ。「春」がついた野菜は、ちょっと間抜けな感じがする。全部が皮ごと食べられるぐらい柔らかくて、ほかほかで、とろとろで、ほくほくしている感じ。なんか、全部締まりがない擬音語だなと思う。でも、そういうのも全部、「春だから」で済まされてしまいそうな感じがまたさらに間抜けな感じがする。野菜も、明るい色でいいよね。

気がつけば、3月も中旬。私はヌーンと毎日を過ごしているけれど、人生の岐路になる人のことを思うと、ほかほかしてくるのだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。