ゴーテル先生が読む、星新一のショートショート
星新一さんのショートショート1篇を授業の前に読んで、小さな感想を書かせる国語の先生がいた。中学校のときの先生だ。
今日、金曜ロードショーで塔の上のラプンツェルがやっていた。この物語に、ゴーテルという意地悪な魔女が出てくる。
彼女。
このゴーテルを見るたびに思い出す人がいる。中学のときの国語の先生だ。どうして思い出すかというと、そっくりなのだ。ゴーテルに。
くにゃくにゃの髪型といい、尖った鼻といい、似ている。ラプンツェルのように若さ溢れる美貌じゃなくて、なんていうか、干からびた美貌、みたいな感じもすごく似ている。ピクサーの人は、山梨にきてこの先生を見たんだろうか。
このゴーテル先生は、授業の前、必ず星新一さんの短編小説の1篇を朗読し、私たち生徒に感想を書かせた。
星新一さんは、SFのパイオニアと呼ばれる小説家で、ショートショートの神様とも呼ばれている。そのときの時代を反映しない、いつ読んでも不思議な気持ちになる普遍的な短編をたくさん書いていた小説家だ。
ゴーテル先生が朗読していた星新一さんの作品で、水の惑星、というのがある。
宇宙船の中にいるF氏とA氏(星新一さんはいつでも読めるように固有名詞的な名前を使わない)。「喉が渇いた」とF氏。「僕も」とA氏。ふと宇宙船から窓の外を見ると、水浸しになっている星がある。「水の惑星だ!」と2人。さっそく水の惑星に宇宙船を近づけると、あることに気づく。
「……陸がない」
これで終わり。
喉が渇いた自分の目の前に、水で満たされた惑星がある。だけど、その惑星には陸がないから、彼らは水を飲むことができない。たったこれだけの物語。
たったこれだけの物語を読んで聞かせたあと、「はい、感想書いてください」と、いらないプリントを小さく切った紙を配るのだ。それも、授業の前に毎回。
中学生の私は、この感想にいつも困っていた。だって、それだけで終わりの話になんの感想があるというんだ……と思っていた。
今だったら、「なるほど。欲しいものが目の前にあるのに手に入らないという状況を示唆しているのか」なんてちょっと賢そうに(そんなこともない)考えられるんだけど、中学生の私はそこまでの思考力はなかった。
確か、このときの感想は「早く二人に水が飲める状況がきてほしい」的なことを書いた気がする。あほっぽい。
でも、この「星新一さん朗読感想会」自体は嫌いじゃななかった。感想を書くのは苦手だったけど、星新一さんの話を、ゴーテル先生から聞くのは嫌いじゃなかった。
星新一さんという名前を知ったのも、面白いショートショートの短編を聴けたのも、ゴーテル先生のおかげ。だから今、私の本棚には星新一さんの短編集が2冊並んでいる。
余談だけど、ゴーテル先生は、ゴーテルに声もそっくりだった。ラプンツェルを見るとき、いつもちょっとどきどきする。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。