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”生き方” のバリエーションが増えたから

「あちこちオードリー」の録画を見ていたら、オードリーの若林さんがこんなことを言っていた。

「ここ2年でテレビ業界は大きく変わったなあと思っていて。フワちゃん、渡辺直美、綾部と海外と行き来して仕事をする人も増えたし、M-1チャンピオンが各テレビ局を渡り歩くこともなくなった。令和ロマンがそうでしょう? 冠番組も持ってないし、優勝したからってテレビに出まくっている感じもない……なんかね、こっからの目標をどうたてたらいいんだろうって。僕は一昔前の人間だからテレビが一番だと思っていたけど、今の人たちを見てると『そんなやり方があったんだ』って思うんだよね」(編集・脚色あり)

そのあと若林さんは、Netflixやサブスク配信限定の放送、オードリーのオールナイトニッポンで東京ドームなどの地上波でなくてもできることってたくさんあるんだよなあ、と言っていた。


それを聞いていて、「なるほど」と思うと同時に、「目標をどうたてたらいいんだろう」ってところに「わかるなあ」と思った。


いま、“ 暮らし方 ” のバリエーションがおかしなくらい増えている。衣食住以外にもいろんな要素が生まれた。働き方、SNS、推し活、土地、ジェンダー、仕事、拠点..…すべての要素が足し算、掛け算になって、”生き方” になる。

ちょっと前だと、「満員電車が嫌だから、家で仕事をする」なんてそれほど想像できる未来ではなかったし、「拠点は1つじゃなくてもいいよね」も思いもつかなかった。もしかしたら、パイオニア的にしている人はいたかもしれないけれどそれでも、「定額払って、いろんなホテルで暮らしてるんです」は、けっこうな驚きだと思う。

仕事にも、「仕事だから」というより、「どんな仕事をしたいか」とか、もっといえば「どんな人間でありたいか」みたいな個人の主観が入ってきて、ちょっと胸がきゅっとなる。

なりたい自分はいる。それに合わせた要素を組み合わせて ” 生き方 ” になることもわかる。今の時代、そういうのが大切だし、理解もしている。

ただ、うまく消化できない自分もいる。

これをなんと言ったらいいのかわからない。「これで正解だと思われていた生き方のレールがないことの不安」ともちょっと違くて、「どうありたいかの自分が見つからないから迷ってしまう」とも違う。

なんだろう。こう、頭のネジが切り替わらないというか。

「バカとブスこそ東大に行け!」といきなり言われた生徒の気持ちに近い。その赤裸々な言葉もそうだし、「どういうこと?」みたいな疑問もそうだし、「東大」という飛躍もそうだし、なんかこう、全部「え?」みたいな。

気持ちが追い付いていない、なのだろうか……。



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