見出し画像

よく聞く「受容」ってなんなんだ?の解

カール・ロジャーズが提唱した、
心理療法においてセラピスト側に求められる
3つの条件<中核3条件>。
建設的な方向に
クライアントの人格が変容するために、
必要にして十分な条件。

無条件の肯定的眼差し/受容
共感的理解
自己一致

コーチング・カウンセリング等
対人支援に携わる人であれば、
折に触れては思いを巡らせ、
自分なりの答えを掴んだかと思えば、また消え・・ 
を繰り返す奥深いテーマではないでしょうか。
 
私も、少なくとも、もう3周目。
3周目にして、受容に関して、
体感覚的に理解が進んだことがある。


受容ってなんなんだろう?

言葉で表現するなら、

自分の価値基準で、判断・批判せずに、
ありのままをそのまま受け入れること

とかでしょうか。
うん… その通りなんだけど… 
受容の真の正体って、なんなんでしょう?

私が心から受容されたと感じた
2つの体験から、
受容について考えてみた。


あなたがそこにいるだけで・・・

もう何年も前のことだけど。
目覚めている間は、
抱えきれないほどの痛みに耐えられず、
「朝が来なければいいのに…」と眠りにつく。
親しい友人にさえも会う気力が無い
数ヶ月を過ごして、久しぶりに会った時のこと。

その友人は、
『あや… おかえり』の一言だけ言って、 
抱きしめてくれた。

泣き崩れたよね、これ…

何があったのかとか、
今どうしてるかとか、
友達なら心配で気になる。
色々と聞いてみたくなる。
それも優しさ♡

でも、「自分の関心」を遥かに越えて、
「相手の関心」に心を添わせる。
一切聞かず、ただ側にいてくれる。

彼女の表情や態度・纏ってる空気感から受け取ったのは、

『何があったのかは分からないょ。
でもね、そんなことよりも、あやが今、
私の目の前にいてくれるそのことが嬉しい。』

存在そのものへの肯定。
愛だよね、愛。

だから人は自然に癒される・・・


全開にアクセル踏みながら
おもいっきりブレーキをかけて、
不安やら葛藤やら弱さやら、
そういった類の何かと独り闘ってた時、
オーストラリアのウルルに旅してみた。
その時の投稿。

画像1

受容と癒し。

別に、何をしてくれるわけでもない。
灼熱の暑さの日でも、
嵐の日でも、
ただそこにいる(ある)だけの大きな岩。

内容も覚えていない、
遠い昔に読んだ本の一節が頭をよぎる。

山は山であることに悩まぬ。
雲は雲であることを疑わぬ。
ひとだけが、
おのれであることを迷い、疑う。
それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ。
「秋月記(葉室麟著)」

己であることを悟る。
その姿を見て、
自分の心の中にある呼応するパーツが
眠りから覚めて
「私もここにいる」と声をあげる。
それらが響き合い、共鳴し合う。
そして、私は
己であることを覚る。

そんな感じのことが起きてたのかな…


まとめ

受容が起きるとき。
そこには、愛と共鳴がある。

今現在の私の解は、これ。
4周、5周目のときには、
また違うことを思っているかもしれないけどっ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?