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8月の小噺

初代ローマ皇帝アウグストゥス(英:Augustus)は権威を、権力を積極的に求めない人物であった。
それは偏に父・カエサルの最期が故である。

「皇帝(独:Kaiser)」と聞けば、多くの人がその語源となったガイウス・ユリウス・カエサル(羅: Gaius Iulius Caesar、英:Julius Caesar)のような強大な権力を一手に掌握した人物を思い浮かべる。
しかし、「皇帝」も様々だ。
前述したとおりカエサルやナポレオンのような全権を掌握する「皇帝」もあれば、重要な役職を兼任し権力中枢の一部を握ることで「皇帝」を名乗ることもある。
アウグストゥスは後者である。
彼は全権を掌握することはなかったし、強大な権力を自ら求める姿勢を示したこともなかった。
それは元老より与えられた地位を幾度か固辞したことからも明らかである。
理由は単純明快。
権威と権力とを追い求めた父・カエサルが、それ故に殺されたからである。
アウグストゥスが父と同じ轍を踏むまいとしたのは想像に難くない。
しかし、そんな彼も権威には一定の固執を見せたようである。

話は一世代遡る。
父・カエサルの偉業を列挙する手間をここでは省かせてもらう。
だが、一つその偉業を挙げるとすれば、それは現在まで使われている暦の制定である。
厳密には現在使われている「グレゴリウス暦」の基となった暦である。
名を「ユリウス暦」。
先に現在の暦の基となると述べたが、制定された当初には今とは決定的に違う箇所があった。
「ユリウス暦」では31日を数える月を「大月」と、30日を数える月を「小月」と呼んでいた。
そして、それらが交互になるよう定められていた。
即ち、1月は「大月」であり、2月は「小月」、3月は「大月」であり……と続く。
読者諸兄におかれましては既にお察しのことであろう。
現在の暦では31日を数える「大月」が連続する月がある。
7月(英:July)と8月(英:August)である。
綴りを見て感づかれる方々も多いと思われるが、7月はカエサルの名を冠した月であり、8月はアウグストゥスの名を冠した月である。

制定当初の「ユリウス暦」において、7月は31日を数えるのは今と変わりないが、8月は30日までしかなかった。
それを変えたのが彼のアウグストゥスである。
彼は父の名を冠する月のすぐ後ろに自分の名を冠する月を置いたのだ。
だが、当初の「ユリウス暦」において、7月は「大月」であるが、8月は「小月」である。
アウグストゥスは自分の名を冠した月が「小さい月」であることが許せなかった。
故に、2月から1日を簒奪して自身の名を冠する8月に加えたのである。

権威を求めぬ男が権威を求めた数少ない例である。
それも実にささやかな。
父が制定した暦に、少し手を加えただけのこと。
アウグストゥスが生きた時代に何かしらの利があったかと言われれば、恐らくほぼ何もないと言っていいだろう。
しかし、そのささやかな権威を求めた結果は現在まで生き続けている。
どのような偉人も歴史に触れる機会がなければ只人と変わらない。
頭の端に浮かぶこともない。
だが、夏が来る度、31日を繰り返し過ごす度、我々は思い出すことができる。
権威を求めぬ無欲な偉人を。

(終わり)

※暦に関する逸話は諸説あります
※アウグストゥスの人柄は作者の所感です

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