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「貴方の隣には誰が居ますか?」人は皆、自分の近くに居る人の影響を受けて良くも悪くも変わる。

皆様こんにちは PICOです。

よく晴れた休日、街へ出掛ければ本当に多くの人達とすれ違うと思う。

しかし、そのすれ違う多くの人達の中に、いったいどれだけ「知り合い」や「友人」が居るだろうか…。おそらく1日中出歩いたとしても、多くても1~2人に会う程度で、そもそも誰も知り合いと会うことなく1日が終わる事だってあると思う。

これだけ多くの人が出歩いていて、すれ違うのにである。

思い返してみれば小学校の6年間、中学校の3年間、高校の3年間…合計約9年間、この9年間と言う長い様な短い様な時間で出会った「同級生」と言うのは、たまたま偶然同じ年度に生まれて、同じ地域に住んでいて、同じ学校へ入学して、同じクラスになった人達。

こんな低確率な確率で人は出会い、そのクラスと言う集団の枠に入れられて約9年間を過ごしてきた訳だが、その偶然が引き起こした出会いの中で、自分の日々の生活で隣には誰が居ただろうかと、ふと私は思ったのだ。

偶然が重なって出会った人達の中で、あの頃、私と仲が良かった子はどんな子だったか。

…思い返すと、自分の一番身近に居た人に、私は影響を受け、そして影響を与えていたのではないかと思うのだ…。

小学校時代であれば、クラスの人気者みたいな立ち位置で教師に対してあれやこれやと言ったりしては仲間と何かと悪さをした気がするし、中学になれば人生で初めて彼女が出来て、自分を好きだと言ってくれる人に出会い、嬉しかったり恥ずかしかったりして、高校へ入ればクラスで浮いたイジメられっ子だったりと…。

人は多分、1人では生きていけなくて、誰かに影響を受けて、誰かに影響を与えて、知らぬ間に誰かを傷付けて、そして誰かに傷付けられて、そうやって日々生きているのだろうと思ったのだ。

今回はそんな「人との出会い」と「その関係性」に関して少し記事にしてみました。

もし宜しければ、読んで頂ければ幸いです。


◆何故勉強をするのか…努力の先にある「出会い」

学生時代、何故勉強をしなければいけないのかと、幾度と無く思った。

私は学生時代一切勉強をせず、かと言って何か特別趣味があった訳でもないので、ただ無意味に時間を浪費して日々を生きてきた訳ですが、それでも案外人生何とかはなっている。

…と言うのも、言い換えればコレが私の努力の結果であり、コレが自然なのだということなので、何とかなっていて当然なのです。

何とかなると言うか、こうなるべくしてなった訳なのです。

よく学生時代に友人同士の会話で『学生時代の勉強に何の価値がある!』『社会人になれば学校の授業で覚えた事なんて、そのうちの数パーセント程度しか使わないんだから、別に必要の無い知識だ!』などと話合った事が私はあったが…私の人生では本当に学生時代に覚えた授業の内容を活用する場面は過去一度も無かった。

…が、もう一度繰り返すが、それも【なるべくしてなった】結果であり、学生時代に覚えた授業を活用する様な場に今、自分が立っていないから、それを使う機会が無いと言う事なのである。

さて、ここでやっと記事の本題に入るのですが、学生時代勉強をした人間と勉強をしなかった人間の差は何処に出るか。

単純に知識量の差が出るのは当然だとは思うのですが、それ以上に重要なのは、おそらくその先にある進路である【中学】や【高校】【大学】と言ったその先にある【出会い】だと私は思っている。

学校には偏差値と言う物があり、成績がこの程度であればこの程度の学校…と言った具合に目に見える数字で人を仕分けしているのである。

私は当時一切何の勉強もしてこなかったので、適当に自分の成績で入れる学校へ特に何も考えず入学した訳だが、おそらく「勉強を頑張った人」と言うのは、単純に知識を身につけるという事だけではなく、その先にある【出会い】の重要性に既に気付いていたのではないかとこの年になって思ったのだ。

当たり前の話だが、勉強が出来ない成績の悪い生徒は、偏差値の高い、つまりは賢い学校への進学は出来ない訳だが、学生時代仲の良かった友人達のうち、多くはこの「受験」が切っ掛けで卒業とともに疎遠になったのではないかと私は勝手に思うのだが、どうだろうか…。

勉強を頑張った人の進む道。

勉強を頑張らなかった人の進んだ道。

その先が同じ場所である訳が無いのだ。

先にも少し書いたが、成績が悪い生徒が賢い学校へは通えないと言う事は、成績が悪い生徒は当然成績の悪い生徒の集まる学校へ入学する事になる。

つまりは自分と同レベルか、それに限りなく近いレベルの人達と同じ場所へ進む事になる訳である。

小学校と言うのは案外地域の都合で学校と言うのは決まっているが、中学・高校となれば話は別な訳で、受験と言う進路次第で人は篩い掛けられ、気付かない所で既に選別がされていたという訳である。

努力をして勉強をして「合格」を勝ち取った人達の周りには、同様に相応の努力をして合格を勝ち取った人達が居て、逆に、努力をせず何となく進学した人達の周りには、同様に似たような人達が集まっている訳であり、この差と言うのがおそらく勉強で得た「知識」以上に重要なモノだと思うのだ。


◆「善意」も「悪意」も関係なく影響は与える。

さて、今度は話題がガラリと変わるのですが…私は以前、物凄く太っていた時期があるのですが、この頃の私は週5~7日のペースで昼間から深夜までずっとアルバイトをしており、仕事が終わった後に毎晩の様に外食をしては酒を飲んで帰る様な生活をしていたのですが…。

元々私はお酒が弱く、食事もさほど沢山食べる訳ではないのですが、アルバイト先で先輩や友人に食事や飲みに誘われれば断る訳にもいかず、実際行けば毎回楽しい訳で、そんな生活を3年続けた結果、私の肝臓は完全に終了を向かえ、あと一歩で本当に死ぬところまで体調が悪化した事があるのですが…。

その頃仲の良かった友人や先輩達が、まぁ…食事を凄い量食べる人や、凄い量を飲む人達ばかりで、そういった人達に影響され、ノリや勢いや普段では絶対食べないであろう食事量を食べたり、普段飲めない酒をガバガバ飲んだ結果がその様な結果を引き起こした訳なのですが…。

彼ら、彼女らには何の悪気も無いのです。

ただ一緒に居て、楽しい時間を一緒に過ごしていただけで、自分でも特に意識をしていないうちに、知らないうちに影響を受けていて、それがこうした結果を引き起こしていたという話なのです。

つまり、人は意識的に相手を騙そうだとか、不幸にしようだと言った考えや行動をせずとも、普段常日頃自分のしている行動を自分のペースで行う事で、知らぬ間に人を巻き込み、結果自分にとっては何の問題も無い事でも、相手にとっては多大な影響を及ぼす事柄だったりする事があると言う事があるのだ。

コレに関しては、そこに善意も悪意も何も無い。

ただ、当たり前に過ごしているだけで、人は人に影響を与えるのだ。

そう言う事があると言う事を人はきちんと理解をしておく必要があると、私は思うのだ。


◆ポジティブな影響を受けに行く。

人からの影響と言うのは「善意」や「悪意」に関わらず受けるものであり、その影響と言うのは自分と相手の距離感によっても異なる訳で、つまりは自分の立っている場所と近しい場所に居る人からの影響を受け易い訳であるのであれば、先に記載した通り、良い学校へ進学した人間であれば、お互いがお互いに良い影響を与え合う可能性が高いと言う事になり、逆にそうでない学校へ進学した事により不良の道へと影響を受けてしまう可能性が高いと言う訳である。

勿論、これはその人個人の持っている性格や意思の強さなどが大きく関係してくるのは言うまでも無いが、あくまでも可能性が高まると言う話である。

であれば、これを上手く使わない手はないのではないだろうかと思うのだ。

人は必ず誰かの影響を受ける訳で、その影響というものには「善意」も「悪意」も無いのであれば、自分から受けたい影響を受けに行く事が出来るのではないかと考えたのだ。

コレも勿論言うまでもないが、元々の持っている性格や意思の強さ、知識量や行動力などには差があるとは思うが、私は『頑張っている人』『努力している人』『日々を楽しんでいる人』からは良い影響を受けられそうな気がするのだ。

日々の生活を楽しんでいる人は何を楽しんでいるのか、その正体を知る事が出来れば、自分も日々の生活を楽しめるチャンスがつかめるかもしれないのである。

逆に「マイナス思考」や「ネガティブ」な人からは、あまり良い影響は受けられそうにないし、なんならあまり良くない影響を受けそうな気がする…。

勿論、対人間なので『この人はイイ人だから何とかしてあげたい』『助けてあげた』『力になってあげたい』と思う事もあるだろうし、そうした気持ちが相手に伝わり、相手にとっての自分が【ポジティブ】になり、お互いに良い結果へ繋がる事もあるとは思う。

しかし、多くの場合は「ネガティブ」が良い結果へ繋がる可能性は極めて低く、共にネガティブになってしまう可能性の方が高い様に思う。

何と言うか、私は「ポジティブ」の持つ影響力よりも「ネガティブ」の持つ影響力の方がより強い影響力を持っているのではないかと考えており「ポジティブ」と言うのは当人やそれに関わっている、言わば近しい人達同士に対して働く作用や影響であり、それを見ている他者からは「妬み」や「僻み」と言ったネガティブなモノが発生する事が多いのである。

その為、ポジティブな影響を受けに行ったはずが、逆に偶然居合わせたネガティブな集団からの影響を受けてしまう事も多々ある様に思う。

努力をして成功を掴んだ人に対して『おめでとう』の言葉ではなく、SNSなどで何なら文句や野次を飛ばす人の方が多い世の中である。

きっと、そんな事は日常茶飯事なのではないかと思う。

故に、ポジティブの影響を受けに行くというのはある意味では少し難しいのかもしれないが、その影響を、その恩恵を受けたいと願うのであれば、他人に対して「妬み」や「僻み」と言った気持ちは持たず、単純に人の事を尊重し、尊敬し、自分と言う物を持っている必要がある様に思う。

その「自分」と言う基準をしっかりと持つと言う事が、まずは第一歩なのではないかと私は思う。


◆最後に…。

さて、何となく勢いでここまで記事を書いてみた訳ですが、コレを踏まえて、今「貴方の隣には誰が居ますか?」と問うてみたいと思うのです。

頻繁に遊ぶ仲の良い友人でも良い。

今付き合っている異性でも良い。

奥様・旦那様・子供でも誰でも良い。

今、貴方の隣に居る人は、自分にどんな影響を与えているでしょうか。

そして、貴方は相手にどんな影響を与えていると思いますか?

人は都合の悪い時ばかり「被害者」になり、滅多な事では「加害者」だとは思うことは無いとは思いますが、今回のこの記事を読んで少しでも『自分は誰かから影響を受け、同時に誰かに影響を与えているのでは…』と感じて頂けたのであれば幸いです。

自分を大切にしてくれている人に対して、貴方は何をしていますか?

自分を大切に思ってくれている人を、貴方も大切に思っていますか?

長い時間、苦楽を共にした人同士だとしても、思いは言葉にしなければ伝わりませんし、人はちょっとした表情や言葉や声・表情でも何かを感じ取れるのです。

今、自分の隣に誰が居て、その人を大切に思うのであれば、その人に対して少しでもプラスになる影響を与えたいと思うのが、きっと人でしょう。

私は昔からネガティブでマイナス思考な人間で、多くの人にいつも助けられ、支えられて、なんとかここまで生きてきました。

その気持ちに少しでも応えるために、少しずつでも、ゆっくりでも。

私は前を向いて、こんな何て事の無い記事でも、誰かへ届けばいいと思い、この【note】を書いています。

直接的には何も出来なくとも、いつか誰かのプラスになる言葉を…たった一言でも私は発信していければと思います。


最後まで読んで下さいまして誠にありがとう御座います。

それでは・・・また次回の記事でお会いしましょう。



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