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話し合いの出来ない父と母

近くのスーパーへ車を停めた。
話し合いに埒が明かないので、一度車を停めて話し合うことにした。

車には私と母と父の3人。

同意見の私と母、そして対立する父親。

何を言ってもだんまりを決め込む父、融通の効かない父、人によって損得を考え判断する父をみて、私は泣いた。

それをみた母は、泣いている娘を、これみよがしに父に訴えた。母は酷く興奮状態だった。泣いてる!可哀想に!これを見て意見を変えないのか!と父を責めている。

涙が止まらない。そんな言い方はないだろう。冷静さを失っているとはいえ、そんな、まるで私が

挙句の果てに、母親は話し合う内容とは脱線し、自身の日常の不満を漏らし始めた。酷く声を荒らげている。このままでは良くない。このままでは、父自体を責めてしまう。

私は母を落ち着かせようとした。今は話を戻そうとそんな提案をした気がする。だが、理解できなかったようだ。火に油だったらしい。なんで!どうして!と、声はキンキンと狭い車内で行き場を失っている。私が泣いたからだろうか。こうなってしまえばもう、母は手に負えない。

父は黙っている。嗚呼、この場合は下手に口を開かない方が良いのかもしれない。母の気が済むまで待った方が良い。どうせ何の言葉も届かない。

私はこんなにも、こんな、話し合いもまともに出来ないような、指摘したところでそれを理解できないような、両親に育てられたのかと思うと、どうにも情けない気持ちになった。

理解出来ずとも、一旦立ち止まって歩み寄って考えてみてはくれないのだろうか。

父も口を開けば、損得自論を展開するばかりだった。まるで、頑固な子供を諭している気分だった。私は、言葉選ばずに言うとそれはわがままだよ、とゆっくり伝えた。父は黙っていた。否定すらなかった。

話し合い後は、母の機嫌をとった。私は大丈夫、今日は美味しいもの食べようか、吐露するのは自覚していなくても疲れるからね、と声をかけた。

実家はとても窮屈で、対等な話が出来る人がいない。

子供ながらに気をつかい、酷く疲れた日になった。


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