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NHK「つながり孤独」は「つながってもいない」し「孤独」でもない。

NHK「クローズアップ現代+」で取り上げられた「つながり孤独」について。

「つながり孤独」とは、ツイッターやFacebookなどのSNSが急速に普及するなか、“多くの人とつながっているのに孤独”を感じることだそうです。番組が作った造語でしょうか?

内容については、上記リンクが文字起こしになっているので、そちらを読んでいただければと思いますが、番組が言いたいことは、「孤独という病」みたいなものが現代社会にはあって、それは若者を中心に知らない間に拡大しつつあるのだよ、ということなのだろうなという印象。

う~ん?

相変わらず、イギリスの孤独担当大臣の話とかを持ってくるあたり、何か恣意的な意図を感じるわけです。つまり、「孤独=悪」という決めつけが感じられます。


番組の中ではこの「つながり孤独」に苦しむ人たちの以下の声を取り上げています。

30代 女性
「つながりがあっても、自分は誰からも理解してもらえない。」
20代 男性
“知り合いの幸せそうな姿、夢や目標に向かって頑張っている姿を見て、自分は誰からも認められていないのではないかと、孤独を感じます。”
20代 女性
“気軽に他人の近況をチェックできることによって、自分との差異がより明確になってしまい、孤独を感じます。”

これが「つながり孤独」なんだそうですよ。

でも、それって僕から言わせれば、そもそも「つながってもいないし」「孤独とは違う」でしょ?としか言いようがない。

「つながりがあっても、自分は誰からも理解してもらえない。」っていうのは、「つながり」というものを勘違いしてやいないかと思うわけです。

自分を理解してもらうためにつながりがあるの?自分を理解してもらうための道具としてつながる相手の人間は存在するの?

それって「つながり」じゃない。


ネット上で「リア充みたいな投稿を見て孤独を感じます」みたいなのは随分昔からありましたが、これもですね、感じているのは「孤独」じゃなくて「妬み」なんですよ。「私は誰にも認めてもらえないのにあなたは楽しそうにしている」という感情は「妬み」そのものであって、どっちかというとその感情を持つ自分を誤魔化したくて、自分を弱い立場の被害者にしたくて、自己防衛的に「孤独でさびしい」という感情に落ち着かせているだけなんですよ。

もうね「孤独でさびしい」っていう言い回しが違う。それって、「砂糖は辛い」というくらい違う。


番組の最後はこんな言葉で締めくくられています。

“つながり孤独”は、家族・会社・地域といったしがらみではなく、個人として自由に人とつながることを求めてきた私たちが、その自由と引き換えに抱え込むことになった孤独なのかもしれません。そう考えますと、若者だけの問題ではないと感じます。

いや全然違うでしょ! びっくりするくらい違う。

孤独を楽しめることこそが自由ということですよ。孤独である時間や状態に楽しみや意味を見出すことができない状態こそ不自由なんです。

家族・会社・地域といった従来のコミュニティは、単独行動を我慢するかわりに安心を得られたわけです。「アリとキリギリス」でいえば、みんなアリさんになって、寒い冬を乗り切れるという安心の中生きてきた。

じゃあ、キリギリスは孤独だったか?

それって、アリから見た偏った視点でしかないわけですよ。アリ側の論理では、ああいう自分勝手な行動している奴はいつか報いを受けるのだ、と言いたくて仕方ないわけだから。

キリギリスの視点から見たら、ものすごく楽しい時間を過ごしているかもしれないじゃない。

よくよく考えれば、困窮したキリギリスをアリは見殺しにしているわけで(キリギリスを助けたって話は後のディズニーの創作。本当は「ざまあ見ろ」と見殺しにした)、それこそフリーライダーを親の仇のように痛めつけてしまう心理と一緒。自己責任論ともいう。

孤独というものを認められない、孤独を悪だと決めつける輩に限って、この自己責任論に終始しがちです。「勝ち組」とか「負け組」という単語をすぐ使いたがるのも同じ思考の輩ね。


本当の「つながり」とは何か?をちゃんと認識してほしいと思います。

特に、「自分を理解してもらいたい」とかの理由でつながりたいという人は、根本的に考え方や視点を改めてみては?

そういうあなたは自分で自分自身を理解していますか?

してないでしょ?してないんですよ。残念ながら。

自分が理解していない自分を赤の他人がどう理解せいちゅーんですか?

つーか、「誰かに理解してもらう」なんてこと自体が幻想。そんなものを追い求めているから、辛くなるんですよ。

誰もわかってくれない?

当たり前です。超能力者じゃないんだから。表面上、わかったような顔をしていたって、誰もあなたのことなんかわからない。それはあなただけじゃない、全員そう。


本当の「つながり」って何か?


誰かとつながることで、自分の中の新しい自分自身と今までの自分自身とが「つながる」ことです。

他人とつながるんじゃない。自分とつながるんだ。

誰かと会ったり、話したり、行動したりすることは、その誰かとつながることが目的なのではなく、それを通じて自分の中にいる新しい自分とつながるためなんですよ。言い換えれば、あなたがあなた自身を理解するために向き合うことこそが、「つながり」なんです。

先日テレビ番組で、もうすぐ引退してしまう安室奈美恵さんに対して、ファンのイモトから「あなたのファンになれて私は幸せでした」というコメントがあって、ネットで称賛されていました。

番組のドッキリとして、最後イモトは安室ちゃんと対面したけど、それ以前は会っていないわけです。だから、他の一般のファンと立場は一緒ですよね。

アーティストとファンとの間には直接の交流(直接話し合ったり、どこかに出かけたり)はない。友達じゃないから。にも関わらず、ファンの心の中にはアーティストが、さも一番仲のいい親友のように存在していることがあります。

直接的な所属のコミュニティ論ではこれは説明できない。ファンクラブという場に所属したって、安室ちゃんとは直接はつながらない。でも、ファンの心の中には、間違いなく安室奈美恵は存在するよね。それは、安室ちゃんが心の中にいるのではなく、彼女の歌やステージを見ることで「安室奈美恵とつながったことで生まれたあなた」がいるのです。

つまり、人には自分の外側にあるアウトサイドコミュニティとは別に、自分の内面にインサイドコミュニティがあり、その中に「安室ちゃんを好きだって気持ちの自分」が新しく生まれ、その自分が自分をものすごく楽しくさせているってこと。

安室ちゃんが直接あなたを楽しくさせていると考えがちだけど、決してそうではなく、ファンとして応援している自分を自分自身が認めてあげられているから、幸せを感じられるんだと思います。

イモトは最後こんな言葉を言います。

安室さんに出会えたことで私の人生は楽しく素晴らしいく美しいものになっています

そこに、「安室さんが私を理解してくれたから」なんて言葉はない。翻訳するならば、「安室さんに出会えたことで、私は私の人生が楽しく素晴らしいく美しいものになっていることに私自身が気が付けた」ってことです。

だから、「ありがとう」って言葉になるわけです。

安室ファンに限らず、ファンの人って皆そう言う。応援させてくれてありがとう、なんです。

「つながり」とは自分の内面に向き合うこと。自分自身の中にたくさんの新しい自分を生み出し、自分の中にインサイドコミュニティを作り出し、自分が自分を認めてあげられるようになること、自分で自分を肯定できるようになること。

すると、状態として一人でいるとか、物理的にぼっちであることなんか、孤独でもなんでもねえってことがわかるでしょう。


NHKが使った「つながり孤独」っていう言葉は、本質的には「集団の中にいる心理的孤立」という言葉の方が正しい。

「つながった気持ちになっているけど、集団の中の所属員として一応いるけど、なんか空気読んで仲間みたいな態度取ったり取られたりしているけど、なんか一人ぼっちじゃないかなって感じてしまうのは、お前がお前自身のことを大切にしてねえ証拠だし、好きになっていない証拠なんだよ」

そう思います。

そんな表面的なつながりとかつながりじゃないから。つながりに依存しているうちは誰ともつながれないから。物理的に一人でいるという状態を辛いなんて感じていたら、誰かと一緒にいても心は孤立するだけだから。

やめな。そんな考え。


そして、

孤独をなめんな。

孤独とは、自分を認めようとしたものだけが感じられる、強くて美しく、解放された境地なんですよ。そうした孤独というものの意味を知るからこそ「つながり」はかけがえのないものになるんです。

「つながれば孤独じゃなくなる」なんて考えはそもそも違うんです。


どうでもいいが、チャイナドレスの安室ちゃん、ヤバいな…。


宇多田ヒカルの孤独についてもぜひご一読ください。



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