方法序説 デカルト著(1)

こんにちは。最近は雨の日が多いですね。太平洋側は降雨量が多いのとことなので、少し心配です。さて、今回は、デカルトの「方法序説」を第3部まで読んだので、簡単に要約と感想を書こうと思います。


方法序説 1部~3部 要約

良識(理性)は、誰しも公平に授けられたもの。だから人によって考えが異なるというのは、その良識に差がある(頭の良さに違いがある)のではなく、思考のプロセスが異なるからから起こるのである。

私は(デカルトは)、考察と格率(自らの学問、思想や生を導く基準)によって一つの方法を作り上げた。私は自分の行為をはっきり見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。


私は次の4つの規則をつくり、そこから外れないようにと決心をした。

4つの規則

1、私が明証的に真であると認めないのでなければ、どんなことも真として受け入れない。つまり、少しでも真かどうか分からないものは真とはしない。

2、私の検討する難問の一つ一つをできるだけ多くの、そして問題をよりよく解くために必要な部分だけの小部分に分割する。

3、私の思考を順序によって解くこと。単純なものから初めて、階段を登るように段々と難しいものに迫っていく。

4、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信する。


このわずかな規則を守っただけで、二つの学科(解析と代数)の及ぶどんな問題も容易に解けるようになり、しまいには知らなかった問題さえも、どういうやり方でどこまで解けるかを決定できる、と思われたほどだった。

*つまり、問題に対して、その問題の解答を導く出すには、どのようにプロセスを辿ればいいのか、また解答はどんな形で算出できるのか(答え自体ではなく、答えがどのような形をとるのか)が分かるようになったということ。


何が真なのか、それを区別できるようにするため、世の中で言われているもの、そして自分がこれまで学んできたものすべてを、一回疑ってみることにした。

しかしそれは、疑うために疑う、懐疑主義なわけではないし、非決定を貫くのでもない。本当に真のものを知りたいからこそ、疑うのである。

疑う対象は、自分の思考さえも入る。しかし「疑う」にあたって、その前に前提として、いくつか「柱」となるものを立てておくべきだと思った。すべてを疑うと、いくつかの点で困難が生じる。そこで、その困難を(できるだけ)乗り越えるため、あるものとしてあらかじめ「柱」を立てておく。その柱を「格率」という。

困難とは、どういう所で生じるのか。

一つは、(人間としての)生活の上でのことだ。例えば自分の家を一度解体するとき、その期間どこかに移り住む家が必要である。それと同じで、自分の知識や思考を解体するにあたって、それでもできる限り幸福に生きられるように拠り所とする場所がいる。それが格率だ。

また、真理に辿り着くために、すべてを疑うことで、結局一歩も前に進めなかったら意味がない。


以下が、私の作った、4つの格率だ。

私の第一の格率は、自分の国の慣習と法律に従うこと。
全てを疑く生きていくとしても、実際生きていくためには、何かに従う必要があり、自分に一番近しい慣習で、(生活の上で必要なものとして)とりあえず生きていこうと思う。

二つ目の格率は、一度決めた以上は、一貫して進むこと。例えば森の中で迷ったとして、一度こちらだと思って歩き始めた方向は、途中で変えたり、戻ったりするべきではなく、ずっと歩いてみる方が森を出る確率を高まる。

三つ目の格率は、運命よりもむしろ自分に打ち勝つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努めること。
そうすることで、自分の力では変えられないものを嘆いたりすることがなくなる。

最後に、この道徳の結論として、この世で人々が関わっている様々な仕事をひと通り見直して、最善のものを選び出そう、と思い至った。
私自身はこの仕事を続け、全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従ってできる限り真理の認識に前進していく。

つづく

◇◇◇

本著「方法序説」は一般向けに書かれたいるので、哲学書の中では比較的読みやすい部類に入るらしいのですが、それでも理解が困難なところはありますね。哲学が、人文学、数学や音楽、光学、気象学、医学など全ての学問の基礎だった時代ですので、学問の中で哲学はとても重要なウエイトを占めていました。
どんな勉強をすれば、こんな思考ができるような頭になるのでしょうね。
後編につづきます。

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