時代と一緒に振り返る米津玄師の33年
時代の寵児
様々なメディアが米津玄師をこう形容してきた。彼はまさに時代が生んだポップスターだ。もし、生まれた時代が前後していたら活躍の場は全く違っていたかもしれない。
米津玄師が生まれたのは1991年3月10日。快晴の日曜日だった。弾け飛ぶ寸前のバブル景気が最期の輝きを放っていた頃だ。そこから”失われた30年”と併走してきた彼の33年間を振り返ってみた。
誕生〜幼児期
誕生:1991年
ボディコン女がジュリアナ東京のお立ち台で扇子を振り、宮沢りえのヌードや若貴ブームに日本が能天気に沸いている頃、海外では湾岸戦争が勃発しソビエト連邦が崩壊、ECが欧州連合創設に合意と激震が走っていた。
1歳:1992年
当時の「時代の寵児」「カリスマ」だった尾崎豊が26歳で急死。株価暴落でバブル崩壊が決定的となり失われた時代が始まる。米津が大好きだという「星のカーヴィ」が発売され、後に「POP SONG」のインスピレーションにつながった「美少女戦士セーラームーン」もこの年から放送を開始した。
2歳:1993年
個人差はあるが、多くの2歳児は自力でしっかりと走れるようになるという。「Jリーグ開幕」でサッカー人気が沸騰した年、幼い米津もサッカーボールを追いかけたりしたのだろうか?
3歳:1994年
「PlayStation」が発売され大ヒット。コギャルブームが社会現象化し、国内ヒットチャートは小室ファミリーが席巻。米津は(幼稚園の頃)元々家にあった「14ひきのシリーズ」がお気に入りで、祖父母の家がある山にはこんな風景が広がっているのではないかと空想していたと語っている。
4歳:1995年
1月に阪神淡路大震災が発生。徳島の最大震度は4。さらに3月には地下鉄サリン事件と世を震撼させる出来事が続いた。「Windows95」の発売によりインターネットが一般に普及し始める。
5歳:1996年
「Yahoo!JAPAN」が公開され、インターネットはさらに便利になったもののまだテキスト中心の普及初期だった。この頃、幼稚園児だった米津は唇に今でも傷跡が残る怪我を負ったことで「自分は普通ではない、怪獣のようなものになってしまった」と強く感じ、その感覚が大人になっても続くことに。
小学生時代
6歳 小学1年生:1997年
山一証券などの大企業の倒産が相次いだこの年に、早生まれの米津は小学校に入学。父親に連れて行ってもらった映画館で初めて観たジブリ作品が「もののけ姫」だった。その時の記憶は作品だけでなく劇場内に持ち込んだマクドナルドの紙袋まで鮮明に覚えていると言う。
7歳 小学2年生:1998年
完全失業率が戦後最悪となり底が見えない「平成大不況」が続く。初代「iMac」が発売され、ますます身近になったパソコンだが米津家にはまだなかった。また、この年をピークに音楽CDの売上は減少の一途を辿る。
8歳 小学3年生:1999年
米津が初めて買ったCD「だんご3兄弟」が大ヒット。”自分の中の漫画というものに対する評価基準のような存在”と語るほど影響を受けた「NARUTO」の連載が始まった。宇多田ヒカルの登場によりJ-POP界に地殻変動が起こり、国内最大の掲示板「2ちゃんねる」が開設された年でもある。
9歳 小学4年生:2000年
経済・社会に大変革を及ぼすIT革命が本格化しネット通販大手「AMAZON」が日本上陸。漫画家になりたかった米津少年を音楽へと駆り立てたBUMP OF CHICKENがメジャーデビュー。後にライブサポートメンバーとなる中島宏士との長い付き合いが始まったのもこの年である。
10歳 小学5年生:2001年
21世紀の幕開け。ついに米津家にパソコンがやってきてインターネットが開通。ずっとイマジナリーフレンドと会話していた少年は自分を理解してくれる人がいるモニターの向こう側の世界へとのめり込んでいった。
11歳 小学6年生:2002年
携帯電話で「写メ」ができるようになり、前年発売された「i-Podで」音楽を聴く環境が劇的に変化。モーニング娘が、後に「KICK BACK」でサンプリングされる「そうだ! We're ALIVE」をリリース。
中学生時代
12歳 中学1年生:2003年
中1の米津はまだ知らなかったかもしれないが、この年に彼の運命を決定づける「VOCALOID(V1)」が誕生した。
13歳 中学2年生:2004年
「冬のソナタ」に端を発する韓流ブームが巻き起こった年。中2の米津は半ば強引に友達を誘ってバンドを組み、音楽による表現を始めた。バンド名は「オブローグ」、初のオリジナル曲名は「絵の具の歌」。ミュージシャン米津玄師の創世期である。
14歳 中学3年生:2005年
日本の人口が減少に転じた年。細々とバンド活動を続けていた米津は、MIDIで打ち込んだ曲を2ちゃんねるに投稿するなどして何とか自分の音楽を聴いてもらおうとしていた。「ブログ」が流行語になるほどのブームだったが、彼がこの頃からブログを書いていたかは定かではない。
高校生時代
15歳 高校1年生:2006年
ミュージシャン米津玄師の故郷とも言える「ニコニコ動画」がサービスを開始。「自分には才能があってすごい人間でこれから先当たり前のように有名になるんだ」という無敵の過信を動力にして授業中にもノートに歌詞を書くほど音楽に熱中していた。
16歳 高校2年生:2007年
「初音ミク」がリリースされ「YouTube」の日本語サービスが始まった。覚醒した天才・米津玄師のために時代が着々とお膳立てをし始めたようなものだ。バンドは事実上自然消滅状態ではあったものの、寝食を忘れて曲を作ってはニコニコ動画へ投稿し、ブログを書き、その反応に心躍らせていた。残念ながらこの頃の曲は削除されている。
17歳 高校3年生:2008年
「iPhone」が上陸し携帯電話からスマホの時代へ突入。「Twitter」と「FacaBook」の日本版がローンチされITの進化は加速。一方でリーマンショックを機に景気はますます減速。多くの人々が不安を抱く中、就職する気などさらさらなかった米津は、大阪に出て音楽活動をすべくとりあえず美術系の専門学校を受験。今でも続いている日記はこの頃から書き始めたと思われる。
ボカロP〜インディーズ時代
18歳 専門学校1年生:2009年
新型インフルエンザの流行に世界が怯えていたこの年、米津は大阪でボカロPとしての活動を本格的に開始。ニコニコ動画に発表した”処女作”「お姫様は電子音で眠る」更に「結ンデ開イテ羅刹ト骸」のヒットで一躍人気ボカロPに。ボカロに夢中になりすぎて当時の彼女にフラれたエピソードを自ら語っている。Twtterアカウントを開設。親友WOWAKAとの交流が始まったのもこの頃。
19歳 2010年
ヒットチャートをAKB48と嵐が独占するアイドルグループ全盛期。米津は専門学校を中退しボカロP活動に専念。YouTubeチャンネルを開設するも初投稿は2年後。ボーマスでの自主制作CD頒布は即完売。すでに音楽業界が彼に注目しており、当時ユニバーサル勤務だった現ReissueRecords社長との出会いはこの頃だったと推測されている。
20歳 2011年
大地震と津波、さらに原発爆発と未曾有の災害に襲われた東日本大震災の年。LiSAのアルバムに「エスケープゲーム」を提供。また、ロサンゼルスで開催された「MIKUNOPOLIS in LA」にWOWAKAや南方研究所のタスクらと参加し「海外に広まってるってことは嬉しいです」とコメントしている。
21歳 2012年
東京スカイツリーが完成し「LINE」のサービスが始まった。初めて米津玄師名義で発売した「diorama」は初登場オリコン6位を記録したものの本人の納得のいく結果ではなかった。この時期、米津は抜け殻のよう、鬱状態だったと語っていたが、音楽業界は新たな才能の出現にどよめいていた。
メジャーデビュー〜現在
メジャーデビュー後の飛ぶ鳥を落とす勢いは既知のことだろうし、ディスコグラフィ詳細はWikipediaでも見ていただくとして、主要な時代背景と米津との関連を中心にざっとまとめてみよう。
22歳 2013年
アベノミクスによる景気上昇の気配が漂う中、ユニバーサルシグマからのメジャーデビューに先駆けて、当時のマネジャーが社長となり個人事務所「Reissue Records」を設立。
23歳 2014年
「Instagram」が2月に日本でのサービスを開始。米津は9月にアカウントを開設している。メジャー初アルバム「YANKEE」をリリースし初めてのワンマンライブを行う。
24歳 2015年
「NETFLIX」「LINE MUSIC」「Apple Music」「AWA」がサービスを開始し定額配信元年と言われた。「TVer」もこの年にスタート。米津はサブスクに音源を解禁せず、アルバム「BREMEN」をリリース。Rockin'on Japan2万字インタビューで生い立ち〜音楽についてなど全てを赤裸々に語った。
25歳 2016年
SMAPの解散、ピコ太郎「PPAP」及び新海誠監督「君の名は。」の世界的大ヒット、「ポケモンGO」、「AbemaTV」もローンチされ、さらに遅れをとっていた「Spotify」も出揃いエンタメ系のビッグニュースが多かった年。米津はSONY RECORDSに移籍。「LOSER」MVで披露したダンスでファンの度肝を抜いた。
26歳 2017年
アルバム「Bootleg」を発表。「TikTok」がサービスを開始しZ世代以下の若者が熱狂。Twitter、Instagramアカウントはすぐに開設した米津だがTikTokアカウントの開設はずっと後になる。またビットコインなどの仮想通貨も登場しデジタル化が凄まじい勢いで進んで行く。
27歳 2018年
安室奈美恵が引退。タピオカが大ブーム。に。#MeToo運動やおっさんずラブが話題となりLGBTなど多様性、コンプラ意識が高まった時期でもある。「Lemon」、foorinの「パプリカ」の国民的ヒットからの紅白歌合戦出場と米津玄師の名がお茶の間の隅々にまで浸透。さらに憧れの宮崎駿、BUMP OF CHICKENのメンバーと会えるなど、まさに大ブレイクの当たり年であった。
28歳 2019年
時代は平成から令和に変わり新時代への扉が開いた矢先、親友のWOWAKAが急死。想像を絶する悲しみの中にあっても昨年来の勢いは衰えず楽曲提供も含めヒット曲を連発。名実ともにトップアーティストの座を確実なものにした。この年は京アニ放火事件、多くの死傷者を出した台風災害、日韓関係悪化など暗いニュースが多い年だった。
29歳 2020年
新型コロナウィルスによる未知の病に身体だけでなく心や生活も脅かされ、全世界が大混乱。五輪も延期に。ライブツアーの中止を余儀なくされた米津は外部との接触を断ちアルバム「STRAY SHEEP」の制作に没頭。同作は記録的な大ヒットとなった。同時にハチ名義を含む全楽曲をサブスクに解禁。
30歳 2021年
コロナの脅威は続いていたが、大谷翔平のメジャーMVP受賞、松山英樹のマスターズ優勝、さらに東京五輪での最多メダル獲得などスポーツの明るい話題が多かった年。米津は3曲入りシングルCDを1枚リリースしただけでライブも行っていない。本人曰く映画ばかり見ていた年だったらしい。
31歳 2022年
元首相暗殺、観光船の沈没、カルト宗教、五輪汚職などの悪い事件が相次ぐ中、成人年齢が18歳に引き下げられた。「KICK BACK」がロングヒットとなりライブツアーも再開、多くのファンを喜ばせた。
32歳 2023年
ファイナルファンタジーのテーマ曲「月を見ていた」に続き、師匠、あるいは父のように敬愛してきた宮崎駿の最新作の主題歌「地球儀」をリリースし、ライブツアーも成功させた感慨無量の年。ジャニーズ事務所の廃業、YOASOBI「アイドル」の全世界的ヒットなどJ-POPの潮目に大きな変化が見られた年でもある。
33歳 2024年
現時点で嵐の前の静けさを感じさせる33回目の誕生日。今年はどんなサプライズを準備しているのだろうか?アルバムもライブも待ち遠しい限りだがとりあえず今日は、ますますのご健康とご活躍を祈念してお祝いにかえさせていただこうと思う。
お誕生日おめでとうございます!
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