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PaleBlueな米津玄師が恋に落ちた相手とは?

「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第30章>

*プロローグと第1章〜29章は下記マガジンでご覧ください。↓

 約2年ぶりのシングル「PaleBlue」は、米津玄師が「ラブソングってなんだろう」と真っ向から向き合って制作し、「そもそも恋愛ってなんだっけ?」と袋小路にハマり、今までの音楽人生の中で(作るのが)一番大変だった曲だと言う。(ナタリーインタビュー/星野源ANNより)

「恋」という歌詞が含まれるのはたった*9曲

 *STRAY SHEEPまでの米津玄師名義の楽曲データ

 4回も「恋をして〜」と歌われる新曲「PaleBlue」を含めても10曲だ。歌中で恋をしているのは5曲。(PaleBlue除く)しかし、ほとんどが恋愛中の歌ではない。

 「春雷」も「PLACEBO」も「あめふり婦人」も「Lemon」も、始まりそうな恋、もしくは終わった恋を歌っている。唯一の真っ只中は「MAD HEAD LOVE」くらいだ。

恋をストレートに表現する覚悟

 そんな米津だが、2015年のアルバム「Bremen」のラストを締めくくる「BlueJasmine」は、明確にラブソングだと言っている。そのインタビューと今回の「PaleBlue」で語った内容には共通点がある。

 それは「恋愛」をストレートに表現することへの抵抗感だ。米津が恋愛そのものをベタに歌うためには、腹をくくり逃げ出さないための決意が必要なのだ。

<PaleBlue>
下品なくらい感傷的なものを作るべきだと思った
浅ましいからって嫌悪せず、変に言い訳して
上品にやろうとしない腹のくくり方が必要だった
(ナタリーより)

<BlueJasmine>
野暮であるようなことをそれでも表現して終わらせる。
陳腐というのは直接的で愚直でエネルギーがあるから
逃げたくなかった(Rockin'onJAPANより)

恋愛を解体して他のものに置き換えて
それを自分の中で納得させる

 恋愛についての質問に対し、煙に巻くような回答が多い米津だが、それは「実体験か?」と勘ぐられることを避けようとしているのかもしれない。

 以前は「FlowerWall」の冒頭の歌詞は”事実である”と明言し、さらにその前には恋人との別れ話エピソードなども普通に喋っていた。

あの日君に出会えたその時から透明の血が僕ら二人に通い/
悲しさも優しさも希望もまたいつも分け合えるようになった
(FlowerWall)

 しかし、「BlueJasmine」のときは「自分は今、ラブラブじゃないし」と言い、「この曲は音楽に対する米津君の想いの再確認なのかな」と言う問いに「恋人にしろ友達にしろ音楽しろいろんなことに対して言える」と答えている。(Rockin'on JAPANより)

 この辺りから、星野源のANNで語っていた「自分は音楽さんの奴隷」、またVOGUEインタビューでの「自分にとって音楽というものが恋愛状態に似ている」という発言に通じるものがある。

 俗っぽく言えば「僕の恋人は音楽でーす」みたいな話だ。

 これは、パパラッチへの警戒心か?照れ隠しか?誤魔化しか?

米津玄師が恋に落ちた瞬間

 普段はプライバシーをほとんど明かさない米津が、自身が真っ逆さまに恋に落ちた時のことを、2017年に赤裸々に明かしている。

 お相手は菅田将暉だ。

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 熱烈なラブレターを自ら公開。

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 さらに菅田の似顔絵を描きTwitterに投稿。乙女のやることだ。

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 口説けなかったら終わりだ!と酒をガンガン飲み、ベロベロになりながら初対面の菅田に「菅田くんじゃなきゃ絶対ダメだ」、「一緒に歌おう。(曲の)一番できているから聞いて」と言い、ギターを何度も落としながら迫ったと言う。

 その時の菅田の戸惑いは容易に想像できる。
「俺からしたら、何を言ってるの? っていう……」
( MBS"佐和子の部屋"より菅田談)

 そして、武道館でデュエットした時のことを「この日のために生まれてきたんだ」とまで言い、菅田のレコーディングブースにアロマキャンドルを持ち込み、ANN出演時には前後の話の脈絡を無視し、唐突に「いい声だよねぇ〜」とうっとり呟き、「もっと知りたい!」「(時間をすぎても)ここにいていいですか?」とはしゃぐ。すべての語尾に♡が見える。

恋をしてるときって、まともじゃないというか、半分ラリっているような陶酔状態だと思うんです。(ナタリーより)

 半分どころか完全にラリっている。

 この頃の米津は菅田将暉という”音楽的ミューズの虜”になっている状態だ。だが、当時のインスピレーションの源が菅田将暉であっただけで、米津が本当に恋しているのは”音楽さん”だったのではないか?

なぜ人は米津玄師に恋をするのか?

 ナタリーのインタビューで米津の恋愛観を読んだ時、こんなにも多くの人々が彼に惚れ込む理由がわかった気がした。

 リリー・フランキーが昔のエッセイでこんなことを書いている。

一番大事なものは自分。(略)

自分より大事な人がいる状態。
その時、人は確実に狂っている。イカレてる。
もちろんそんなイカレた奴を女は好きになりようがない。
その気分は、自我と自虐と偽善と欺瞞が化学反応を起こして
ラリっている状態だ。

では、二番目に大切ならば大丈夫か?
自分の次に相手が大切。(略)
何はなくとも、この人さえいてくれればそれが幸せだろうか?
それだけ思っていれば大丈夫。そんな大丈夫は現実にはない。

結局、大好きな人を三番目にできるかどうかは、
二番目に「ベンキョウ」があるかどうかなのである。(略)
ベンキョウとは、今ではない未来のために何かやる行為のこと。

 つまり、自分を大切にし、何かに真剣に打ち込む姿に人は惚れる。この1番、2番をすっ飛ばして「あなたが1番だ!」と言う人はイカれてると言うことだ。

 リリー・フランキーの言葉を借りれば「君はボクより大切みたいな嘘臭い代物の方が人は喜ぶ」。しかし、米津は本質をわかっている。

“恋をする”って、基本的にずっと独りよがりで(略)相手のことをわかろうとするのではなく、自分のことしか考えない時間であって、相手のために何かしたいとか、相手を幸せにしたいというのは、本質的には恋ではないような気がする。(ナタリーより)

 米津の言う自分本位で浅ましい要求、その恥ずかしさと孤独感はエゴイスティックなまでに自分を1番に置いている。そして、2番目に大切なのは音楽を作ること。3番目にやっと恋人なり、親友なり、ビジネスパートナーなり、米津にとって大切な誰かがポジショニングされるのだろう。

 しかし、3番目の椅子に座ることが許されるのは、2番目の音楽さんに選ばれし誰かに限定されるのかもしれない。例えば菅田将暉のように。

 米津玄師に恋人がいようがいまいが、「ボクの恋人は音楽でーす」と言われたらシンプルに信じられそうな気がする。それが多くの人を惹きつける最大の魅力なのかもしれない。

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自分より大切な者とは”親にとっての子供”くらいだろう。でもそれは”恋”とは呼ばないですねw

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*この連載は不定期です。他カテゴリーの記事を合間にアップすることもあります。

歌詞分析だけじゃない、米津玄師を深堀りした全記事掲載の濃厚マガジンはこちらです。↓

<Appendix>

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*文中で引用したリリー・フランキーのエッセイはこちら。
 RCサクセションの「3番目に大事な物」と言う歌をテーマにした項に掲載されている。このエッセイ集は、90%以上が度を超えた下ネタなので淑女にはお勧めしませんw
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