学園祭回顧録:目次、およびはじめに

目次

はじめに
中学1年の頃(天童二中文化祭):1990年(平成2年)
中学2年の頃(天童二中文化祭):1991年(平成3年)
中学3年の頃(天童四中生徒会):1992年(平成4年)
高校1年の頃(山東祭):1993年(平成5年)
高校2年の頃(山東祭):1994年(平成6年)
高校3年の頃(山東祭):1995年(平成7年)
高校3年の頃(生徒総会):1995年(平成7年)
大学1年の頃(入学~新フェス):1996年(平成8年)
大学1年の頃(Cruising Party):1996年(平成8年)
大学1年の頃(第47回駒場祭:6月~8月):1996年(平成8年)
大学1年の頃(第47回駒場祭:9月~10月上旬):1996年(平成8年)
大学1年の頃(第47回駒場祭:1+1が2となる楽しさ):1996年(平成8年)
大学1年の頃(第47回駒場祭:10月中旬~当日):1996年(平成8年)
・以下、続編

※この文章の、「はじめに」〜「大学1年の頃(第47回駒場祭:10月中旬~当日)」までは、私が大学4年生の時(1999年)に書いた文章となります。

はじめに

※この「はじめに」は、私が大学4年生の時(1999年)に書いた文章となります。

学園祭の業務に追われる毎日の中で、ふと思うことがある。「自分は何故学園祭に関わっているのだろうか?」

お金を稼ぐため?いや、それだったらバイトをしていたはずだ。頼まれて断れなかったから?確かにそれも否めないが、全くの義務感だけでやっている訳ではない。なんとなくやっている?いや、そこには自分の意志があったはずだ。学園祭が好きだから?……そう、僕は学園祭が好きだから学園祭の委員会に入った。好きだから学園祭の業務をやっている。けれども時々それすらも自信がなくなる。「自分は本当にこの仕事が好きなのだろうか?」そんな疑問が心の中を駆けめぐる。

自分の好きなことをやっていたはずなのに、いつの間にかやりたいことはやらなければならないことに姿を変え、気がつけば抱えている仕事の量は数倍にも増え、知らぬ間に仕事に追われている自分がそこにはいる。そしてそれを変とも思わず、むしろ仕事に追われることに生き甲斐を感じ、仕事をこなしていくことに達成感を感じ、そして再び仕事を抱え込んでいく自分がいる。

もちろんその仕事を本当に自分が好きでやっているのならば、辛い仕事でもその後に完成するものを信じているのならば、そのような生き方をとがめることはしない。けれども本当に僕はそう思っているのだろうか。近頃の僕は、「学園祭に関わる自分」というものをあまりにも当然なものと思いこんでいたような気がしてしまう。

今年五月の五月祭が終わり、僕は大学の学園祭からはとりあえず「解放」された。そう「解放」されたという思いが心の中にある。ならばそれ以前は学園祭に「囚われて」いたのだろうか。確かにそうなのかもしれない。けれどもそれだけではないのかもしれない。今年十一月の駒場祭に向けて動き出した後輩の姿を見ると、何故か自分もうずうずしてしまう。自分もつい関わりたくなってしまう。「解放」されたはずの学園祭に、自らまた「囚われ」たいと思っている。それは何故なのだろうか?

僕にとって「学園祭」とは何なのか。その問いを深く考えない限り、僕は次のステップには進めないようだ。そしておそらくこの問いを考えることは、あの「第48回駒場祭」を考えることに、おそらくつながっていくのだろう。

→ 中学1年の頃(天童二中文化祭)

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