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読書記録*03:自分を見つける読書

 今回、各感想がやけに長くなっている。なぜかはわからない。
 『最後の医者~』を読んでいたときのハナシ。小説の優れたところは、じっくりと内面を描写できるところなのだと感じた。映像や音声の作品では、内面描写をするにしても尺が限られてしまう。その点小説は尺制限が弱く、著者の書きたいことを滔々と書き並べることができる。そのおかげで読者は登場人物の考えと、それを読んだ自分の考えをしかと認識できる。私にとってはこの点が重要である。自分の頭の中を、登場人物のそれと比較して価値観の再認識あるいは更新ができるのだ。この体験をさせてくれる本は、わかりやすく私の人生の糧になっている。しばらく読書を辞めることは出来なさそうだ。

1.伊藤剛『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミュニケーションという試み』(光文社新書)

 戦争と平和の捉え方、二項対立で考えることの危うさがテーマ。
 クウェート侵攻時の「ナイラの証言」のように世間の意見を形成できるという事実に驚いた。もちろん情報化社会の今では同様の方法は難しいだろうが、時代に即した新たな方法が開発されても不思議はないのだろう。
 情報の伝え方の話では、物事に客観性を持たせるために関連情報をオープンにしても、どの関連情報を陳列するのかという取捨選択は必ず存在し、その時点で公開者の主観がかかわってしまうというハナシには首肯した。また、受信側もすべての情報ではなく一部情報にしか目を通さずに重要度を判定する以上、ここでも主観が生じる。つまり「真なる客観性は存在しない」のである。客観性を追求しすぎることに意味などないのかもしれない。
 メディアが大衆にどう作用するかについて「認知」「態度」「行動」の3段階の話も興味深かった。
 どのように感じるかは人によって大きく異なるのかも知れないが、自分を更新できる本といえるだろう。読み応えはあった。

2.歌野晶午『密室殺人ゲーム王手飛車取り』(講談社文庫)

 ネットで知り合った5人による推理ゲーム。普通と違うのは、参加者の1人が現実で起こした殺人事件を推理するということだ。
 まず文句を言いたい。ゲーム形式のくせにルールにのっとっていない、あるいは楽しむのに不要な茶々みたいなものが多すぎて、読んでいてイライラさせられる。いわゆる異常者が5人集まっているものなので、コミュニケーションに難がある人間たちなのは非常にリアルなのだが、読んでいてつらかったのもまた事実である。慣れるまでずっとモヤモヤしてしまった。人間臭さと読みやすさなら、読みやすさの方が優先されてほしいな。
 この小説の面白いところは、読者もゲームの参加者たちと同じように推理を検討しながら、ツッコミながら読めるところ。普通の推理モノでは、正解を確信した1人による解答が行われるのに対し、本作では対等な4人の解答者がああでもないこうでもないと話し合う場面が長いのだ。なかなか珍しいテイストなので、一読の価値があるだろう。また、読み味が珍しいだけに、続編があるのもうれしいところ。(続編も読み味が似ているかは全くもって不明ではあるが。)

3.二宮敦人『最後の医者は桜を見上げて君を想う 』(TO文庫)

 難病患者に対する姿勢の異なる3人の医者たちの物語。私自身、数年後には医師として働いている予定なので、他の職業を題材にしたものよりも興味深く、「自分だったら…」と考えながら読むことができた。
 「難病であっても奇跡によって回復する見込みがある以上、辛く苦しくとも延命のための医療を受けるべき」とする福原と、「残された時間を希望の薄い治療に費やすより、心の満たされる生活を優先すべき」と考える桐子の対立がメイン。わたしはどうしても後者の桐子側に近い意見である。そもそも人生をどう生きるべきかという問題への私の解答は「人生に意味はなく、自分を満足させるために生きるべし」であるので、「生かすことが至上の目的である」といういかにも医療提供者側の意見には賛同しかねる。「生きることの先に何があるのか」を考えていないように感じてしまうのだ。その点をよく表したセリフがあったので引用したい。

必ず訪れる死の前では、全ての医療は時間稼ぎだよ

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』

本当にこの通りで、病院に来て健康を求めるのは「人生において健康な時間を長く確保し、心満ちる活動をするため」であるはずである。つまり健康に生きることは目的ではなく手段である。福原はそれを取り違えているのだ。
 最後には「死期迫る難病患者の周囲の人間」としてどう考えるかについてもひと悶着あり、周囲がなかなか割り切れないという側面も描かれる。これは周囲の意見、価値観によって患者の意見を変えてしまいたいという根本的に自分勝手な願望である。それを通すためには、冷静な説得により意見の変更を待つよりほかなく、ダメもとくらいのつもりでいるべきだろう。表現が難しいし、細かく書くと延々と続くのでここまでにしておく。自分の中ではまとまっているからヨシ。
 少し気になったのは、冷血とも見える考えを持つ桐子が不必要に相手を怒らせるような表現を使うこと。桐子は患者を思い話をしているはずで、そのためには周囲の敵対感情を刺激しない方が好ましいことは明らかである。にもかかわらず彼はそこに無頓着で、自分の信念や考え方に殉じる割には、その意見を通すための努力に欠けている気がするのだ。物語上、少々怖く見えるキャラクターの方が良いというのは理解できるが、どうにも不自然に感じてしまった。塩梅が難しいところなのだろう。

4.原田マハ『さいはての彼女』(角川文庫)

 主にバリバリのキャリアウーマンたちがなんやかんやで一人旅をして人生に思いを馳せるような短編×4。キャリアウーマン視点で語られるからだろうけれど、全く共感できず、終始どういう考え方なんだこの人?と思うようなところが多かった。結果、自分には全くハマらなかったな。物語として成立しているのか?という印象が強く、ほぼエッセイ集みたいなものだなと感じた。主要な登場人物が自分からあまりに遠い思考回路の持主の場合、読むのを継続してもしっくりこないのかもな、という勉強にはなった。わかりやすい起伏も欲しいところ。
 同著者の『本日は、お日柄もよく』は楽しく読めたので、著者の書き方が嫌いというわけではなさそう。別の作品を読んでみるかは設定次第という感じ。


 これにてさようなら。

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