辞退願

 突然に、自分の中にある価値が転倒して、裏返って、手の届かないところへ放り出される。これ以上生きていたって仕方がないと囁く声は、耳を塞ぎたくなるほどに甘美。
 僕は、何も見たくないし、聞きたくなかった。しかし、自分の内側から溶け出てくる光と音からは、どうしたって逃れることはできないのだ。一日中、心臓に剣を、頭に銃口を突きつけられているような緊張と、不安と、吐き気がして、身体中の力は抜け、感覚はかじかんで麻痺している。
 とにかく、だめなんだ。なにが、って言われてもわからないが、多分、この、弱さが。弱さとは、生きる術だ。弱ければ、本来の役割から解放されることがあるし、義務が免除されることもある。本当に弱ければ。問題は、実際には僕はそれほど弱くないということだった。そこそこの図々しさとプライドと中途半端な能力を持ち、ときに他人を見下し、ときに自分の弱さを曝け出すことで、目を背けるべきでない、なにかから目を背けてきたような気がする。
 目を背けるべきでないこととはなんだ。健全で、正しくて、強いもの。未来、愛、努力、向上心、その他諸々の、ハッピーエンドに付随するきらきらである。そうだ、世の中ではバッドエンドが流行っているけれど、皆んな自分はハッピーエンドで終わりたいと思っているんだろう。ここにきて、いよいよ僕も認めざるを得ないことがある。僕もハッピーエンドがいい。破滅なんて、しないに越したことはなくて、恋愛をして、人生の中で二番目くらいに好きになった人と結婚をして、子供を二人くらい授かり、中流階級を維持しながら、たまに贅沢をして、子供を自立させて、そういうのでいい。安いアパートの二階で三流小説家とくたびれた人妻が繰り広げるただれた恋慕譚なんてこの世の中に必要ないものだし、間違っても目指すものではないのだ。きらきらが、少し自分に合わないからって、世の中を捨てて正反対を極めようとすることはなくて、自分なりの満足というものを見出す努力をすればよかった。
 まだ遅くはないと思う。若いし、どうにでもなる。ただ僕は、もう疲れたから、死ぬのを待っていたい。僕は人間だ。ただ、生きた人間ではないのかもしれない。転んだとき、立ち直る方法を知らない。みっともないから、転んだままで、皆んなが自分をどんな目でみているかということから目を背けて、地面に突っ伏し続けている。そうやって生きてきた。今更顔を上げるのも怖くて、目に光が入ってくるのはきっと痛くて、たとえ頭上に手が差し伸べられていようと、知ったこっちゃない。ただただ、怖いのだ。転んだ自分を見ている人がいるということを、自分が認知さえしなければ、辛うじてちんけなプライドは守られるだろうか。死ぬのを待ってる。この身体が朽ちるのを。

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