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生温い秋の始まり。



今日は低気圧で、というか最近、季節の変わり目なのか気候が不安定で、体調がイマイチなのだけれど、郵便局に行く用事があったから頑張って支度して、外に出てなんとか完遂できて一安心している。


そして今の住まいに引っ越してからおよそ1年間ずっと行きたいと思い続けてきた、市立図書館にやっと来れた。今住んでいる町は古い街並みがすごく懐かしい気持ちになる。端的に言って、故郷を想起させる。何の縁もゆかりもない土地だけど、だからこそなんとなく愛着が湧いていて、正直言って、わたしは知り合いも誰もいない、何も知らないこの土地をひどく気に入っているのだ。


そんな古い町にある市立図書館はやっぱり古くて、地元の古い図書館よりも古いかもしれなくて、でもわたしは古い街並みも建物も好きなので、やっぱり初めて来たとは思えないような懐かしさを感じながら、今キーボードを叩いている。

ちなみに使っているキーボードは見た目の可愛さや便利そうな機能を見て一目惚れしたロジクールの持ち歩きキーボードだ。確か7月に買ったのに、なかなかプライベートの時間で落ち着いて文章を打てる余裕がなくて、宝の持ち腐れになってしまっていた。いまこうやって活用できていて、安心していると同時にすごく嬉しい。使い勝手が職場や家のキーボードとは違うので慣れるまでには時間がかかると思うけど、少しずつ慣れていきたいと思う。

わたしは意外とコツコツ物事を続けるのが苦手で、その日の気分や衝動で生きてる部分が大きい。それでも積み重ねていくこと、続けていくことの重要性は把握していて、それがなかなかできない自分のことをもどかしくおもっていたから、いつも心に言い聞かせている部分がある。

たぶんこういう部分がかなりADHDっぽくて、自分の脳みそに振り回されているなあと思う。自分の脳みそや思考能力、長時間の思索に耐えうる部分などは好ましいと思っているから良いのだけど。昔から自分のことが嫌いなわけではなかったけど、あまりにも生きづらい特性を受け入れられず、使いこなせなくて生きづらさばかり感じていた。今も決して使いこなせているとは言えないけど、嫌な人たちやわたしを縛ってくる・支配しようとしてくる人たちから逃げて離れて、心が解放されてからはとても素直に愛せるようになった。

最近の自分がわたしは、すごく好きだ。日増しに愛せるようになっている事実は驚きでもあり、やっと自分自身の人生が始まっているんだなぁ、という実感もある。辛い10代や疲れ果てて一度壊れた20代前半だったけど、これからの人生の方がずっと長いわけだし、なんとなくほっとしてる。若さを売らずに、消費されずに20代後半になれたと思うと、恵まれてすらいたのかもしれない。それはただの自己完結で、後付けでしかないのだけどね。


なんだかまた長々と語ってしまったな。日記のようにnoteを書き始めると、いつも書こうと思っていたことは書けずにまったく別の話を展開してしまう。

そして文章を書いていると、ものすごくお腹が空くね……。20時まで滞在しようかと思っていたけれど、保つだろうか。今日の夜ご飯は何を作ろうかなと思いを馳せる。昨日買ってきたひき肉があるから、そぼろご飯でも作ろうかな?

わたしは規則正しい生活がものすごく苦手だけど、家事はたぶん好きな方だし生活も嫌いではない。時々、思索をものすごく邪魔する嫌な存在とは思ってしまうけど。自分のやりたいことと生活をみんな、どうやって両立しているんだろう?これはずっとずっと、疑問に思っていること。

食器洗いだけは家事の中でもものすごく嫌いで苦手だけど、それは、自分のペースでできないから。食べてすぐ洗う、そういうのが本当にできない。いつもシンクに溜め込んでしまう。でも、フライパンは時間を置いてから洗った方が良いというのを今日ツイッターで見かけて、少しだけ勇気をもらった。すぐに洗い物ができない自分が肯定されているようで。今使っているフライパンはデザインも可愛くて大きさもちょうどよく使いやすいので、できるだけ長持ちさせたいな。

見立ては到底立っていないけれど、そのうちまとまったお金が入る日が来たら、大きな冷蔵庫と食洗機がほしい。アイリスオーヤマの食洗機は工事をしなくても良いと小耳に挟んで、最近とても気になっているものの1つだ。

しばらくここに住み続けるなら、家電を増やしても良いのかなあ。なんだかんだあっという間の1年で、今のところ住んできた家の中で一番気に入っているのは間違いなくて、家事も困らなくて立地も良くて、体調も良好で、5年くらい住んでも良いなあって思ってる。気分屋で、いつ住居を変えるかわからないわたしが。気に入った住居ってめったに出会えないものだから、あとは交通費を気にしなくて良くなるくらいにお金を稼げたらなぁ。良い仕事が見つかると良いんだけどなぁ。本や漫画、DVD収納できる本棚もほしいなぁ、今はDIYする元気もなかなかないけど。今思えばよくL字型の机とか、自分で組み立てたなと思う。結構頑張ってたなぁ。去年のわたし。生き延びるために、必死だっただけだけどさ。


いつか、初めて一人で暮らした大学時代のあの単身用マンションについても、文章にしてみたいなと思っている。ふと思うだけでも、書き出してみたいあれこれが多すぎてびっくりするな。わたしの今の日々は人生の中でも焼き直しに近い時期なのかもしれないけど、それも含めて楽しみたいと願ってる。わたしの人生はいつもいつも波乱で、退屈したことなんてなく、目まぐるしすぎて疲弊しきっていたから、インターバル期間をいつも、求めてた。やっとここに来て自分の意思で体を動かせて、自由に生きていいと言われていて、夢のようなんだよ、ほんとに。


今日ここの図書館に来るまでに、初めての道を通った。

家からたった徒歩10分圏内なのに、全然知らない景色が広がっていて、新たな発見がたくさんあった。こんなに近所にパン屋さんがあるなんて知らなかった。天然酵母の美味しそうなパンの匂いを嗅いで、今度絶対に行ってみようと思った。

来月で1年経つけれど、ほとんど家の中に引きこもっているか、職場との往復か、家から徒歩5分以内のスーパー、薬局、10分ちょいのコンビニくらいしか行かなかったから、まだまだ知らないことばかりなんだ。生活するって、ほんとうに不思議だなぁと思う。わたしはいつも自分の脳内だけで生きている節がかなりあるから、ますます、自分の把握している物事や風景がすべて幻想なのかもしれないと思う。常にやや離人感も多分あるし、こんなヘンテコな脳みそを持ちながら地上を歩いている人間が生きているのって不思議だなぁ。

今は夕方の6時で、高校生たちが徐々に集まってきて、学校帰りに図書館に寄って勉強して帰るなんて偉いなぁ。わたしも高校生の頃は同じようなことしてたけどさ。でも、結局本ばかり読んで、空想に浸ってばかりいて、自分の思想をノートに書き綴ってばかりいて、こんなに真面目に勉強したことなんてない気がする。

あの頃からリスペクトしていて、大好きな野中柊さんの本、読みたいなぁ。彼女や恩田陸さんは、思想レベルで好きだしもう染み付いています。

ここの図書館に昼過ぎから夜まで入り浸って、毎日、文章を書いたり勉強したり、アニメを観たりするのも良いかもしれない。ゲームも。毎日やりたいことで溢れていて苦しい自分自身が、配信を始めたことで少し救われていて。自身にノルマを課すことでやりたかったことを確実に消化できるようになって、人と話すことで知識も増え、新しい世界がひろがった。

もっと自分のやりたいことを実現、というより着手していくためには、落ち着いて物事に取り組める環境が必要だ。どこへ行けば良いかわからなかったけど、今なら居場所を見つけられた気がする。新しい居場所、新しい環境。新しい習慣、それらが少しずつ重なって、自分を変えていくんだろう。この街を選んだ自分を褒めてあげたいし、これからもっともっと素晴らしい日々が始まっていく予感がする。なにかを手放すことで、新しいなにかが得られる。それは人生のなかで体得してきた実感であり、真理だ。より良いものに向かって、わたしたちはいつも手を伸ばす。向上心のある人間は美しいと思う。向上心なんて概念でしかなく、なにが「より良い」ものなのかすらも曖昧だけど、そこが重要でもある。


結局は、誰もが自分自身と向き合って深く知る必要があるってことなのだ。


最近は年下の子たちから慕われることが増えて、いや、年下だけではないんだけどね?自分の大人としての責務についてよく考えるんだ。もともと、教師の家系に生まれて教師を志していたからね。結局道半ばで夢破れて別の道を選んでも、人生の中でやるべき使命や役割っていうのはどこまでもついて回るし、大丈夫なんだなぁって悟ったりもしてる。

わたしはわたしと向き合い、よく知り、自分にできることややりたいことを粛々と遂行していく。そんな人生の時間を着実に毎日、刻んでいきたいと思う。


いつも書き始めた文章の終わらせ方がわからなくて戸惑うのだけれど、さすがに長文になってきたのでこのへんで終わります。読んでくれてありがとう。また書きます。とりとめもない日々のことを。


2020・09・16  夕暮れ、初めての市立図書館にて。




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