猫はえらい。
さて、と、家に帰って、リビングのドアを開けると
猫がこちらを見た。
彼女は黙ったまま、ふたたび、庭を観る。
小さな、ほったらかしの庭だけれど、彼女には何か見えるのかもしれない。
山桃ノ木の枝が風にゆれる。
常緑の葉はざわめき、おそらく幹や枝にさまざまな虫を宿しているのだろう。
どこかで虫を狙う鳥たちの気配を、猫は感じているのかもしれない。
猫はえらい。
彼女の視線は鋭く、庭の地面を突き刺しているように思う。
土があれば、人には雑草が繁茂しているだけの地面でも、
何かの生き物が、命がけでまもる縄張り、命をつなぐ糧があるに違いない。
ひょい、と草の端から、アリが頭を出す。
オケラやミミズが土をたがやしているのではないか。
生命圏は静かにつながっている。
そういうことを考えているのか、というと、
そうでもない。
むしろ、なにか、もっと哲学的な、厳しいことを考えているように見える。
猫として生きること。
この家で暮らすようになって、彼女は幸せだろうか。
彼女は保護猫だ。
ある日、猫を飼う、と私は宣言し、譲渡会を調べました。
繁殖用の、ブリーダーから保護された猫でした。
7歳を超えて繁殖させることは禁じらていたからです。
彼女はなぜかビニールの袋を噛む。電気コードを噛む。
ずっとケージの中で暮らしたから、そういうものが珍しいのか。
おいしくないだろう。
食べてはいけないよ、と注意して隠しました。
それでも、いまも噛むのです。
猫はえらい。
人と暮らすことを、距離をおいて楽しむ。
大きく伸びをして、足元で寝そべり、
ときには仰向けになって腹を出したりする。
足を延ばして、その上に顎を載せたまま、眼を閉じて休息する。
朝、
階段を降りてきて、リビングのドアを開けると、
彼女は頭を上げて、ミャオ、と口を開け、するどい牙をみせる。
彼女は寝息を立ててよく眠る。
彼女が幸せであってほしい。
それは、私たちを幸せにします。
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