じゅんや

私があなたたちを応援する理由~内定辞退者・吉田編~

伝説の世代をつくる。

西尾さんらしい言葉だと思う。勇気があり、ロマンがあり、ちょっと盲目的なのだ。

僕がヒーローに覚える違和感は、その盲目さにある気がする。ヒーローは強い。だからカッコいいのだ。男の子たちは、正義という大義名分にしびれまくっちゃうのだね。

けれどそれは、「人が嬉しい」から少し距離があるとも思う。僕は戦隊もののテレビ番組を観るたびに、本当に敵を殴る必要はあったのかとか、街の修繕はだれがするんだろうとか、そもそも、怪獣がいなくなったから人は嬉しいのだろうか、ということばかりが気になってちっとも楽しめない。

はっきりと言って、僕はあんまりパッとしない人間だ。見た目もそうなら、歩んできた人生もそうにちがいない。最近どれだけ運動をしても横腹についた贅肉が落ちなくなった。大学4年生も現在3週目だったりする。彼女もできないわけである。
けれど、身も心も余分だらけに生きてきたからこそ、自信をもって言えることもある。
強くなるまえに、まず人に優しくあるべきだ。

僕の会社は10月1日に内定式があった。参加したら、しっかりと病んでしまった。
今年の内定者の数は470人だそうだ。式が終わると一列に並ばされて一人一人、内定書を手渡しされる。ずいぶん長い列だ。僕たちは名前順で並ばされた。「よしだじゅんや」は前から450番くらいのものだ。同期に「よしだ」は8人いた。僕は列の後ろの方から前方に連なった後頭部をみて「こういう会社に入ったのだな」と実感したのだ。その後は、懇親会があり、翌日は海でBBQがありと、めきめき僕の心を蝕んでいくのだけれど、書くのは控える。悲しくなるから。

同期について深く悲しんでいると、10月25日フーモアの内定式が行われたことを、西尾さんの投稿から知った。追うように28日に大西君の記事が投稿された。
まず、あの内定書が、かっちょいい。なんだあれは。僕がもらったのはいかにもありきたりな文面で、大量に生産されたもののひとつだった。大西君は「五人で伝説の世代をつくる」と記事で語っていた。とても誇らしい。みんなの親密な結びつきを目の当たりにしたて、羨ましくてたまらなくなった。

もしかしたらそうだったかも知れない自分の姿を想像すると、言葉が出なくなって、コトリンゴの「悲しくてやりきれない」を布団の中で聴いて泣いた。いい曲だなあと思って「この世界の片隅に」まで観た。

僕にとっての正義のヒーローは「20世紀少年」のケンヂたちのことだ。彼らは最後の最後に、世界中を救った救世主ということになる。けれど、もとをたどれば、小さな頃に、近所の空き地で秘密基地をつくって遊んだ、ただの友達なのだ。彼らは特別高く飛んだり、腕っぷしが強かったり、ビームを出したりしない。ただの酒屋の息子であり、蕎麦屋の息子達だ。それが、偶然大人になってから再び出会い、絶対的な悪に立ち向かうことになる。

ケンヂが仲間たちに向かって必ず言う言葉がある。

「ムチャはしないでくれ
自分の命が危ないと思ったら
一目散に、逃げてくれ。
頼むから みんな、死なないでくれ」

彼らは正義のヒーローである前に、ただの友達だ。だからこそ、敵を倒すことのまえに、友達が無事であることを心から願っている。そこには強さのまえに、やさしさがある。

伝説の世代なんて聞くと、僕はちょっとみがまえる。けれど、ケンヂたちのような、なんでもない友達からはじまる正義のヒーローは素敵だ。

これは、応援ではなくてお願いだ。どうか、僕をみんなの友達にしてほしい。
だれよりも弱いけれど、やさしい役なら、なんとか僕でもはたすことができるんじゃないかな。そんな友達はどうかなあ。
友達として、そして、ある時は戦友として、僕はみんなと今後つきあっていきたい。そう言葉にすると、悲しみが消え、未来への希望に満ちてくる。


今日も読んでくれてありがとう。身も心も、ときたら応援の文章も贅肉多めとなりました。


文責:フーモア内定者 吉田純也


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