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どうしようもなさ =

私は生きている中で、どうしようもなさというものにひどく打ちのめされることがあります。

私の父方の祖母は2年前に亡くなりました。
祖母が皆の手で霊柩車に移されようとしたとき
今まで聞いたこともないような大声で棺に泣きついた、夫である祖父の姿が忘れられません。
それから、祖父は認知症を発症しました。

1人でふらふらと道の真ん中を歩き、トイレを失敗する回数も増えました。息子である父を最も困らせたもの、それは電話でした。

祖父からひっきりなしにかかってくる電話。
内容は似たり寄ったり。中間管理職である父は常に鳴り続ける電話に辟易していました。
これは母方の祖母からこの間のお盆の時に聞いたのですが、父は祖父にこのように言ったといいます。



俺は遠いところに転勤になったから、もう電話はかけてこないで


どうしようもなく、胸が締め上げられたように苦しくなりました。祖父はこれを聞いた時、どんな気持ちになっただろう。今以上に祖父を独りにさせるのかと、父を責めたくなりました。けれど父の気持ちが全く想像できないわけではないからこそ、辛くて涙が溢れました。

感情を露わにしない穏やかな父が、私に見せずに悩んで出した答えがこれだったのだろうと思うと、もう誰を責めるだとか、誰が悪者だとか、ぜんぶが分からなくなりました。誰も悪くないからこそどうしようもなくて、誰かがどこかで無理をしなければいけなくて、脆い。


私はあと数日後に待ち構えた休日に祖父を訪ねます。祖母の葬式以来。認知症を発症してから初めて会うことになります。私を私だと分かってくれるかも分からないし、私の父が自分の息子だと認識するかもわかりません。もしかすると、父のことを聞かれるかもしれません。「なかなか電話が繋がらなくて」と言われたら、わたしは、

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眠れない夜に

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