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推しへ。ごめんね

中学3年〜高校の計4年間、いわゆる“推し”がいたんです。
現在、わたしは22歳なんですけど、ふと最近その推しや当時の推し活(当時はオタ活っていってた)を思い出して、色々感じることがあったので忘れないうちに書き残しておこうと思います。

まずは簡単に推しについて。
男性アイドルグループの1人で、かなり人気な位置にいましたし、今もそうです。
自分の人生をかけて“アイドル”というものを全うするという、一般人には到底理解できないところまで張り巡らされたプロ意識には驚嘆させられるばかりです、ほんとに。

そんな彼が、ラジオで(まだ私が推していたときなので5〜6年前かな)『子ども(娘)ができたらつけたい名前がある』と話したんです。
プライベートなことをまったくと言っていいほど公開しない彼から、仮定とは分かりつつもまさか子どもができたらの話が出るとは思っておらず、
学生ながら割と軽い衝撃を受けたのを覚えています。
ただその時、どんな名前かまでは言わなかったんですね。絶対言わないと。
ただ、「つけたい名前がある」と。


そして最近、ふとXを眺めていると、どうやら私が離れていたここ数年の間、彼が出したソロ曲のひとつの曲名にその名前が付けられているというポストが。その人の単なる考察とかではなく、
彼が明言しているので間違いないようでした。

それを知ったとき、すごく悲しくなったんです。彼が絶対に言わないと話した子どもの名前が、ソロ曲のタイトルでつけられた。子どもにつけなかった。これから先もつけることはない、というある種の覚悟のような、諦めのようなものを感じてしまって、胸が詰まりました。
しまいには罪悪感のようなものを感じてしまう始末。
私含めファンという存在が、アイドルである彼を人間以上のものとして見ていて、崇めているような、そして寝ても覚めても“アイドル”であってほしいと、そうであれと呪いをかけてしまっているような気がしてならなかったんです。
そうした結果、彼は自分の家族(妻ができるかもしれないけど、少なくとも子ども)を諦めざるを得なかった、と感じて、やるせなさみたいなぐにゃぐにゃした感情になりました。


今や推し活や推し事といった言葉はそこらじゅうに溢れていて、推しが生きがいだったり時にはリアコ(リアルに恋)したり、ハッピーな雰囲気がふわふわ漂ってる感じ。
でも、私は忘れたくないな。
推しだって私たちと同じ一人の人間であることはもちろん、推しには推しの人生があること、
推しだって別の推しがいること。

私はもちろんアイドルの彼しか知らない。
だからこそ、彼がアイドルじゃない、彼自身として誰かを好きになったり愛したりするのは至極当然のことだから彼には幸せになってほしいと心から、ほんとうに心からおもいます。
普段から遊び呆けてて…とかだったら、素直にそう思えなかったりアイドルとしての彼すら応援できなかったりするかもしれないけど、
彼はずっとノースキャンダルで“アイドルの自分”を守り続けてくれているからこそ、そう思えるのだろうなあ。そう思わせてくれるのだろうな。

ただ、私は怖くなったのです。
アイドルの彼を好きと叫ぶばかりに、
アイドルじゃない彼を潰してしまうのではないかと。一人の人間としての尊厳とか権利みたいなものを剥奪しているのではないかと。
「その人がその道を選んだのだから」といわれればそれまでだけど、でも、それまで、で片付けられないことのような、片付けたくないような。そんな気持ち。


ともあれ、「応援させてもらってる」と思わせてくれる彼はどこまでも尊敬に値すべきものを持つ人で、魅力に満ち満ちています。

わたしの推し、誰かわかった人いるかなあ。

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