見出し画像

スラヴォミール・ラウィッツ著『脱出記』を読む

オリジナルはThe Long Walk (1956)。長く歩いた話です。どれくらい長いかというと、シベリアからインドまで6500キロ。そのルートは巻頭にある地図の通り。ざっと見た感じ、北海道の北端宗谷岬から、鹿児島の南端佐多岬まで、一往復半くらい。

それも、歩きやすい街道をたどって、ではありません。極寒のシベリアから、灼熱のゴビ砂漠を通って、ヒマラヤの山岳地帯へ。食料もなく、水筒もなく、約1年間、ただひたすら歩き続けるんです。

ラウィッツはポーランド出身の軍人です。25歳のときにソヴィエト軍に捕らえられ、シベリアの強制収容所へ送られます。そして自白の強要と拷問のすえ、無実の罪で強制労働25年の刑に…

しかし、思いがけない人からの助言と援助で、仲間6人と収容所から脱出します。さて、インドを目指したのはなぜでしょう?食料や飲み水は?全員がゴールできたと思いますか?予想外の展開に、「ウァー」とか「ウォー」とか、声をあげながら読みました。

人生って旅なんだなぁ!

収容所で、数人に脱出を誘います。「そんなの無理!」って断る人もいれば、「面白い!」って乗っかる人もいる。これって運命だよなぁ。インドまで生きてたどり着く保障はないし、かと言って、収容所から生きて出られる保障もない。費用(リスク)対効果の計算なんてしようがないしね。

それから、メンバー構成が絶妙! もの静かで思慮深い者がいれば、陽気なムードメーカーもいる。ロシア語・フランス語・ドイツ語・英語など、使える言語もさまざま。偶然から集まった7人が、それぞれの力を出し合って一つの目的を達成する。「オーシャンズイレブン」みたい。

旅の途中で、幼気な17歳の少女に出会います。そして、なんと7人の旅に同行することに… ドラマだよなぁ… ロードムービーでも見ているようです。人生にも旅にも、出会いがなくっちゃ…

ヒマラヤの山岳地帯で「謎の生き物」に遭遇します。身長は約2メータ-。鈍色に近い褐色で、頭は角ばっていて、耳は頭に張り付いている。なで肩で、腕は長く、手足が膝に届いている。そんな生き物、誰一人として見たことも、聴いたこともない。後に、それがイエティ(雪男)であったことを、ラウィッツは確信します。こんな「おまけ」までついているのか…

この話って結局、何?

ラウィッツ自身は、この作品を「体験記」とか「脱走物語」と呼んでいます。

でも、これを書くことになったのは、医者の説得があったからです。どんな治療や薬物療法よりも、自分の恐怖体験を洗いざらい吐き出して文章化することが必要だったのです。その意味で言うなら、心的トラウマを克服するための「告白」です。

それと、ソヴィエト連邦の強制収容所における残虐行為が、体験者によって語られたことは、それほど多くないようです。そうした意味で言えば、貴重な「歴史書」であり「告発書」でもあります。ラウィッツ自身、「いま生きている人々への警告」であると言っています。

更に言えば、「イエティ(雪男)の目撃談」です。イエティ捜索を追っかけていたロンドン・デイリー・メール紙の記者、ロナルド・ダウニングに「それらしい奇妙な動物の目撃者」がいる、という情報が入ります。それがラウィッツだったのです。

ダウニングはラウィッツを訪ねて、話を聞き出そうとします。でも、なかなか話してもらえない。そりゃそうだよ。だってラウィッツにしてみれば、それは、文字通り命を懸けた脱出物語のたった一コマに過ぎないのだから… でも、お互いが徐々に理解し合うことで、この作品は書籍化されます。

命がけの旅行記が「トンデモ本」に歪められるのは悲しいことです。でも、そのおかげで、世界中の「潜在的な読者」に、この物語が届いたことは否定できません。

noteの記事だって、ハッシュタグのつけ方ひとつで、読み手に届いたり届かなかったりするんだから。難しいもんですよね。

作品はひとつでも、その捉え方は複数。ちょっと古いけど、アンジャッシュのコントみたい。会話は成立しているのに、受け取り方が双方で全然違うやつ。

スラヴォミール・ラウィッツ著 海津正彦訳 『脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち』 (2007) ヴィレッジブックス

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?