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林業をして変わったこと

私は約3年間、林業をしていました。初級コースを修了した程度ではありますが、モノの見方や目のつけどころが多少なりとも変わった気がします。そのことを文章にしてみようと思います。


木っていいもんですよね。「木陰が気持ちいいなぁ」とか、「緑で目が休まるなぁ」とか、あえてそこまで言葉にするまでもないぐらい、当たり前で、見慣れた風景の一部です。

でも林業を始めた頃、木を見たら「どっちに倒そうかなぁ」と思うようになりました。

こっちに倒したら電線に引っかかるし、そっちに倒したら家屋を潰してしまうし… どのあたりにどの角度で受け口を入れて、どのあたりに追い口を入れようか… チルホールは必要だろうか… 滑車はどこで、本体はどのあたりに…

ちょっとした紙上林業ゲームです。たいていは山中でしたが、街場にも林業はあります。しかも、失敗する可能性が高い上に、リスクが大きい。実際やるとなれば、とても緊張します。

「本当の旅の発見とは、新しい風景を探すことではない。新しい視点を持つことなのだ」と言ったのは、マルセル・プルーストだそうです。

それまでは単なる一風景だった木に、新たな視点をもって関わりあう。仕事も、旅も、人生も、アプローチの仕方なんだな、って思います。

日本語で「視点」と言う場合、「注視点」の意味であることが多いように感じます。日本語モードの「視点」とは、「着眼点」であり、「目のつけどころ」なのです。

対照的に、英語の「視点(perspective)」とは、「注視点」というよりも、むしろ「視座」です。それは「メガネ」のようにアイディアを通すものです。考察対象ではなく、モノの見方ですから、それこそメガネのように「かけかえ可能」です。

さて、プルーストはどちらの「視点」を念頭に語ったのでしょうか?あるいはフランス語モードの「視点」なのでしょうか?すみません。原典を確認していないのでわかりません。

林業をやめた今では、街の大木を見て、「これ、早めに手を打たないと、倒れてきやしないか…」なんて、心配しています。倒木の下敷きになったこと、あるし… 視点は変わっても、臆病と心配性は変わりませんでした。

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