Grey Cells

Art de Vivre. を信条に生きる三文文士。 ただ美しいから芸術なのではなく、…

Grey Cells

Art de Vivre. を信条に生きる三文文士。 ただ美しいから芸術なのではなく、常に美しい(普遍)から芸術なのであり、また意思を持たない(無我)が故に心を許すことも出来る。移ろいやすいヒトの世にあって、その対極に位置する芸術の変わらぬ価値を求め、暮らしを満たす日々の言の葉。

最近の記事

自然

 此の国から春と秋が消えて無くなり、桜が咲いたかと思えばたちまち夏日になって、秋の日の釣瓶落としを感じる間も無く木枯らしの冷たい風が吹き始める。だから空調という人工の機械に頼らずとも心地良く過ごすことが出来る季節は短く、あるいは無くなってしまったという話で、専門家ではないから、それが温暖化に原因があるのか、地磁気のせいであるのか、からくりは判らないけれども、四季折々の緩やかな移ろいを感じにくくなったことだけは確かである。だから、春風に誘われて花を愛でるとか、晩秋の渓谷に紅葉を

    • 越後路

       トンネルを抜けても、そこは雪国ではなくて、若葉薫る緑の田園だった。新潟の街に城は無い。初めにそのことは言っておかなければならなくて、大概の向きは県庁のある街には城があるものだと思っているから、新潟の街を見渡しても天守閣など見当たらなくて、きっと戦争で焼け落ちたのだと考えたところで無理はない。もっとも、城の無い県庁所在地というのは他に幾らもあって、例えば長野は善光寺のお膝下で賑わった門前町で、神戸は言うまでもなく平清盛が開いた港町である。だから、新潟に城が無くても驚くことはな

      • 旅を生きる ― 続々「日常の再定義」

         誰の言葉か知らないけれど、人生は旅路である、とは良く言ったもので、もちろんそれは、今や百年時代を迎えつつあるヒトの生涯を、山あり谷あり、酸いも甘いも、旅路に譬えた比喩に過ぎなくて、ただ、よくよく考えてみれば、人生とは本当に旅、旅「のようなもの」、ではなく、旅「そのもの」なのかも知れなくて、それは、旅に出ている間だけが、本当の自分に戻ることが出来るからである。二十四時間という天地万物へ平等に与えられた一日の中で、個として、自分として生きることが出来るのは、一体どのくらいの時間

        • 詩のススメ

           文学というのは、何も小説に限った話ではなくて、随筆でも、論文でも、新聞でも、文学になり得るということは前に書いたことだけれど、要は、言葉を使った芸術が、文学のことである。その、芸術という用語が出たついでに、こちらも定義しておくと、文学を小説に限るかのように勘違いしている向きが多いように、芸術とは美しさであると勘違いしている向きもまた多くて、芸術とは、単に美しいから芸術なのではなくて、常に美しい(普遍)から芸術なのであり、さらに言えば、意思を持たない(無我)ところに芸術の価値

          伊勢路

           鉄道の旅が、目的地までの到着時刻ばかり気にするようになって、鉄道会社の方でも、ダイヤ改正では何分短縮とか、何本増発とか、ただ、どれだけ速く何人運べるか、という点にばかり気を取られて、快適さやデザインは二の次になり、リクライニング・シートが何度傾くくらいの小さな話が大きく宣伝されている。それでも、沿線に観光地を抱えるような路線は、それなりに優等列車を走らせて、目新しさを競っているようだけれど、それはあくまで特別な日に乗る為の車両であって、日常の移動が貨物のような箱の中にぎゅう

          船旅の心得

           船舶が旅の手段ではなくなり、金持ちの道楽になったのは、歴史を紐解くまでも無く航空産業が発達したからで、今、あえて船を使って目的地まで行こうというのは、離れ小島に住んでいる向きか、あるいはまた自動車を運ぶ為のフェリーくらいなもので、欧州航路だとか、大西洋航路だとかいう言葉はすっかり過去のものとなっている。戦前は、欧州まで出掛けることを「洋行」と言って、それは別に船旅に特化した言葉ではないけれども、当時の旅の手段が、ほとんど船を使うものだったのだから(シベリア鉄道に乗るという方

          船旅の心得

          時間

           ありふれた冬の一日に、元旦という役割を与えたから、その日は特別な一日になり、それから三百六十五日(今年は三百六十六日)経った、やはり何の変哲も無い冬の一日に、大晦日という役割を与えて、その日を特別な一日にしたことで、一年の始まりと終わりが決まり、同じように、ありふれた真夜中の瞬間に、零時という役割を与えて、二十四時間経った、やはり何の変哲も無い真夜中の瞬間に、また零時という役割を与えたことで、一日の始まりと終わりが決まる。そういう当たり前の決まり事が、いつの間にか決められて

          関ヶ原を歩く

           天下分け目と呼ばれている戦いは世界中に幾らもあって、此の国の歴史の中で当てはまりそうなものは、中国大返しの末に羽柴秀吉が明智光秀を討った「天王山の戦い」か、その秀吉恩顧を旗印に掲げた石田三成を徳川家康が滅ぼした「関ケ原の戦い」くらいではないだろうか。同じ天下分け目と言っても、前者が一対一、光秀と秀吉(厳密には織田信孝らを含めた連合軍)の戦いであったのに対して、後者は、文字通り全国の諸大名を東西陣営に分けて争った、実に壮大な規模の戦闘であったところが大きな違いで、ただ共通する

          関ヶ原を歩く

          宿り木

           バーの入口に窓が無く、厚い扉で仕切られている理由は、外界との隔絶を意図としたものであるからで、ひと度、店の中に足を踏み入れてみれば、仄暗い照明に長いカウンターと、その向こうに奥ゆかしく佇むバーテンダーがいるという景色は、大なり小なり何処でも同じはずで、初めての客であったとしても、取り立てて迫害される訳でもなくて、好みの一杯でも頼めば、愛想の有る無しはともかく、丁寧に磨き上げられたグラスに美しい色合いのカクテルないしウィスキーが、折り目正しく注がれるはずである。音の無い店もあ

          大は小を兼ねる ― 続「字引を読む」

           大きいことは良いことだ、という価値観は、いかにも戦前の大艦巨砲主義のようで芸が無さそうであるけれども、実際、文学を読む為に使う字引を選ぶに当たっては、そういう価値観も役に立つようである。字引を使う向きの主たる目的は、知らない言葉の意味を探る為であって、普通に考えるならば、たくさん見出し語を載せている字引が優れているように感じられて、版元の方でもそういう需要を察して、大抵は字引の帯に「何万語収録」などと大書して謳い、はしがきにも刊行ないし改訂の一番の眼目として見出し語の増強を

          大は小を兼ねる ― 続「字引を読む」

          隠れ家

           仮に誰とも接する事なく暮らしが成り立つのであれば、大なり小なり、社会の軋轢と摩擦が芽生える余地は無くなり、それこそ、世界人類の平和が訪れるのではないだろうか、と真剣に考えていて、事ほど左様に、ストレスというものは、ヒト、対人に起因するもので、未開社会がどうであるのか、原始時代がどうであったのか知らないけれど、少なくとも現代の文明国家においては、独りになりたい時に、独りになれる場所を持っている、知っているというのは、安寧に生き抜く上での知恵であり、財産でもあって、もちろん、自

          立ち止まる時間

           冬の透き通った陽射しが銀座の表通りを包んでいる。平日のまだ朝の空気が残る時間帯だと言うのに、往来のヒトが絶えないのは銀座という土地柄で、一つ用事を済ませて、次の予定まで時間が出来たものだから、旧知のカフェに立ち寄って少し温まることにした。その店は、表通りに面した階段を螺旋に降りてゆく地階の先にあるもので、一段一段と靴音を鳴らしながら降りるに従って、外の明るさとヒトの騒めきが次第に遠いものになり、辿り着いた木の扉を開けると、異世界のような空間、それは木目にまとめられた落ち着い

          立ち止まる時間

          山の上ホテルに捧ぐ

           商売というのは領分が決まっているから信頼を得るものであって、もっとも総合商社などという海のものとも山のものともつかない得体の知れない商売もあるけれども、だから客の方でも、林檎が欲しければ八百屋へ行くし、鯵が食べたければ魚屋へ行く。そして、それらが店子になっているのがショッピングモールで、街に一つでも出来れば、周りの商店街は軒並み店を閉め始める。もっとも、ここではそんな都市経済論を語るつもりはなくて、仮にヒトが旅先ないし出張先で、その日の宿として選ぶのがホテルであって、客の方

          山の上ホテルに捧ぐ

          私的文章論

           参議院と二千円札と風圧の足りないエアタオルに共通しているのは、どれも世の中の役に立たないという一事であって、そんな謎々まがいの例を挙げるまでもなく、無くなっても困らないものなど、それこそ世界には掃いて捨てるほどある。身近なところでは、書店の一角を占める「作文術」とか、「ライティング」とか、要するに「文章の書き方」を論じている書物もまた、そんな役に立たない代物の典型ではないだろうか。確かに、段落の始まりは一文字空けるとか、文の終わりは句点で閉じるとか(昨今SNSの世界ではタブ

          私的文章論

          ベルエポック

           和製英語というのは、外国の習慣を自国の文化に溶け込ませることに長けた、いかにも我が国らしい言葉の工夫で、ただそれは、元になる外国の言葉があるにも関わらず、受容の過程で、無理やり日本の言葉に置き換える、あるいは新しい言葉として創出したものであって、それは国際化という時代を生きる上では、意思の疎通を阻害することにもなりかねず、そんな事例はいくらもある。例えば、そういう話の一つに「マンション」という言葉があって、我が国では比較的規模の大きな集合住宅を指しているけれども、海外では億

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          殿様の観た海

           その昔は、江戸から七泊八日かけて歩くしかなかった仙台までの道程が、今ではたったの九十分で着いてしまうのだから便利な世の中になったもので、冬枯れの田畑が驚くべき速度で車窓の後方へと流れてゆくのを眼で追う内に、つまりは旅情など感じている間も無く、列車は仙台駅の高架ホームへと滑り込んで、それはまだ朝の空気が残る九時半頃のことだった。「仙台には何も無いんですよ」、唐突に出鼻を挫いたのが、駅から乗った車の運転手氏の言葉で、こちらとしては、旅に歴史は付き物だから、先ずは伊達六十二万石の

          殿様の観た海