常識について考えてみる(アンラーニングの有用性)

「そんなの常識やん」

と、口にすることもある、わたしたち。
でも、普段から常識というものについては、あまり考えることはないと思います。

常識って何?について、無理やり表現してみると・・・
ある社会や集団の中で一般的に共有されている知識や考え方。生活する上で、多くの人が無意識のうちに従っているもの
・・・なんて感じですかね。

どうやって常識って生まれるの?と問われれば、何か大きな事件や出来事(パラダイム)があって、それを機に何かしらルールが変わり、そのルールが一般化する段階で常識になっていく、なんて仕組みになってるような気がします。

「〇〇ハラ」みたいな言葉も、常識の変化を(良くも悪くも)揶揄する言葉の代表として出てきている側面もあると思います。

・・・で、この常識ってもの。
実は結構いい役割を果たしてくれているんですよね。

「常識について普段から考えることはない」と書きましたが、まさに私たち自身ににしみこんでいるのが常識で、その結果、脳の思考を簡略化して、判断を楽にしてくれている側面がある、これってすごいことですよね。

この常識がなかったら、例えば、
朝の通勤ラッシュで電車に乗るために、降りる人が先?乗る人が先?わからないし、どうふるまおうか
なんて迷ったりすることが、日常でいつもいつも起こるわけです。これを毎日毎回判断していたら、めちゃくちゃ疲れますよね。例として適切かわかりませんが、これを回避できているのは常識のおかげ(日本では一般的には降りる人が先)だと思います。

そんな常識のいい面を多分にうけながら、一方で、常識に縛られて、新しいことに順応できない、なんてこともよくあります。結果的に、物事がうまくいかなかったり、人とのコミュニケーションに支障をきたすこともあったりします。

昭和VS令和とか言いながら、価値観の違いともいわれますが、個人的には価値観(個人の基準)というより、常識(社会の基準)の違いだと思っています。

少し考えてみたいのですが、この普段意識しない常識をどう扱っていくのが我々にとって一番いい方法なのでしょうか

多分一番いいのは、最適化するために更新し続ける、ということのような気がします。

でも、更新ってどうすればいいの?何を変えれば更新できるの?そもそも、何が最適なの?うーん、難しい。

でも、これが出来たら、すごい生き方が楽になる。そんな気もしますよね?

・・・と、ここで筆が止まり、しばしこのネタから離れていた時に、ふと目にした言葉にピンときました。それは「アンラーニング」という言葉。

私のイメージするアンラーニングとは、
新しい知識や価値観を取り入れるために、単に「忘れる」だけでなく、意図的に古いものを選択して捨てること
です。

なんだかしっくりきますね(勝手に)。

じゃ、どうすればアンラーニングってできるのか?

1. 自分の思い込みを認識する
2. 多様な情報に触れる
3. 疑問を持つ
4. 自分なりの新しい考え方を見出す

こんな感じですかね。一言でいうと、
ある事象をメタ認知して、それを見直す
という感じかなと思います。

常識の恩恵に感謝もしつつ、一方で、アンラーニングを日々の生活に取り入れて、自分の常識を最適化するために更新し続ける。そんな風にふと立ち止まる時間も作っていきたいなと思った今日この頃です。


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