ビジョンと多様性のあいだにある矛盾

会社勤めされている方はわかると思うのですが、会社にはビジョンというものがある。
昔でいうと社訓?社是?的なものだったり、今でいうとパーパス(存在価値)の先にある概念として扱われたりする。

これは「一つの目的や目標に向かって全員で取り組もう」という、ある種の洗脳ようなものであり、統一的な意識の醸成を狙った会社の重要な方針(方向づけ・羅針盤)として用いられることが多い。

その一方で、多様な価値観を性別や国を越えて取り込もうという機運がここ数年立ち込めており、人口減も相まって、各社がこぞって中途採用や外国人採用などに動いている。

ここで一つの違和感を覚える。

ビジョンに向かって、同じ意識を持って取り組もうとする一方で、多様な価値観を受け入れるから、何でも話し合おう。

・・・どっちやねん!!

いやいや、ビジョンは大きな概念で、ありたい姿や成し遂げたいゴールイメージを描いているから、そこに至るプロセスは多様な価値観の下で実現すればいいのよ。・・・という見方も確かにできるかもしれない。

でも、そもそも多様な価値観を持った人が、同じビジョンをそんな簡単に持てますか?

20代の若手女性と、50代のおじさん
日本人ど真ん中な平均社員と、とがりまくったアメリカの転職者

同じビジョンに共感できる??ほんとに?

かーなり、ムリゲーな感じがするのは私だけでしょうか?

言い過ぎかもしれませんが、もはやこれ、矛盾しているようにも思えるんですよね。

多様性を謳うなら、個々の価値観をある程度認めて、とことん民主主義的に話し合う必要があるような気がします。

ただこれ、ありえないぐらい時間がかかることで、一般企業ではとても看過できるようなことではないと思います。

このような矛盾を抱えたままビジョンと多様性を都合よく発信されるので、会社に対する信頼感が薄らぐし、本質的な納得感が得られないのでモヤモヤした感じで会社の中で過ごす=要領よくやればいいという考え方になる、ってことが多くの企業で起こっている気がします。

欧米企業だと、そもそも多様性が当たり前だと思うので、ビジョン重視でそこに共感できる人が会社に集まるという感じになっているような気がしますが(知らんけど)、日本企業はそこが中途半端になってるんじゃないかと思います。

このような矛盾に陥ることなく、ビジョン重視でとことん共感社会・共感経済を生み出す、とか、多様性重視でリベラルアーツ的なところに踏み込み新たな世界観を生み出す、といった、振り切った感じで活動する企業がこれから躍進していくのではないでしょうか。

そこに本質を見い出し共感する→いい人材が集まるという流れは出てくると思いますし、個々のパワーが最大化しやすい、という現象も起こると思います。

ドリルダウン思考に強い日本人にはちょっと難しい課題なのかもしれませんね。教育から変えていく必要があるのかなと思ったりする今日この頃です。


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