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いつのまにか、サッカーの話につながった。

こんにちは。Siroです。

先日、久しぶりに体調を崩しました。

 ↓そのときの記事です。


だいぶ調子が戻ってきた頃、

先日不調になったのは、なにが原因だったのでしょうか と、光の存在に尋ねてみました。すると、


"一度、直接見てはいかがでしょう?"


と、こたえが返ってきました。

その言葉とともに、体の中に小さくなって入っていった感覚になりました。

やがて、ある内臓が見えてきました。

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そこは、一番痛かったところでした。

ギューっと収縮するような痛みの感覚が発せられていることが伝わってきました。

しかし、その内臓自体はまったく悪くなく、むしろ正常であるように見えました。

どうして、どこも悪くなさそうなのに痛みを発しているのでしょうかと尋ねると、


"その周りに意識を向けてみてください"


と声をかけられました。

言われたとおりに内臓の周囲に意識を向けると、ある圧力がかけられているような感じがしました。


"この圧力に覚えはありませんか?"


と尋ねられ、その感覚に意識を集中させると、わたしが無意識的にそうなってしまっている感覚であることがわかりました。

緊張感と不安感が混じり合ったような感覚でした。


なにかしなければ。

でもなにを?

これかな。いや違う。あれかな。いや違う。

でも、なにもしないわけにはいかない。

とりあえず動かないと。


そんな急かされるような感覚でした。


それは、仕事中だけでなく、家でなにかをしているときにも起こりました。


"あなた自身が、圧力をかけ続けているのです。

それをやめない限り、体はストレスを感じ続けるでしょう"


と、光の存在の声が響きました。


そのとき、病気を抱えている方々の特有の感覚や響きを思い出しました。

キューッと絞られるような感覚、

金属音が重なり合う響き、

鼻にツンッとくるような感覚、

ぐるぐる回っているのに滞っているような感覚。


漢方では気、血、水で表現されるもので、西洋医学ではホルモンやサイトカインで表現されるものだと思いました。


"ストレス というのは、こういうものです。

不協和音をずっと聞かされると、気がおかしくなってくるでしょう。

それを、ひとは無意識的に体にし続けているのです。

痛みというのは、不協和音をやめてほしいという体からのサインです"


と、続けられました。


では、どうすればその不協和音を止めることができるのでしょうかと尋ねると、過去の出来事が思い出されてきました。


それは、学生時代に部活入ったばかりの頃でした。

基礎的な技術が全然身についていないけれど、部員が少ないために練習試合に出なければならなかったときのことでした。


ルールもよくわかっておらず立ちすくんでいたら、大きな声で顧問に怒られ、走れ!走れ!と怒鳴られ、とりあえずよくわからないまま走っていました。

いま思い出すと、かなり無茶な状況でしたが、当時は訳も分からず言われるままにするしかありませんでした。


"その状況が変わった瞬間はありませんでしたか?"


と尋ねられ、それから一年ほど経ったときのことが浮かんできました。

基礎的なことができるようになり、筋力もついてきて、少しだけ応用的なことに挑戦できるようになった頃のことでした。

試合中のある瞬間に、急に少しだけ視野が広がったような気がしました。

どこにどうすればいいのか、見えた気がしました。

その通りに行動したら、予想以上にうまくいきびっくりしました。


"そうです。

最初は大事なところがわからず、無駄な動きが多くなってしまいます。

しかし、試行錯誤していくと、大事なところがわかる瞬間がきます。


そこがわかると、自由な動きが増えるでしょう"


その言葉とともに、キューッと締め付けられるような感覚と不協和音が止んでいきました。


では、その状態になるまでは、緊張がつづくのも仕方がないのでしょうかと尋ねると、


"いいえ。

その状態を続けていては、体がもたないでしょう"


と、続けられました。


それでは、大事なところがわかるまでどうしたらいいのでしょうかと尋ねると、こたえの代わりにかつて読んだ本が思い出させました。



元サッカー日本代表の遠藤保仁選手の著書『観察眼』だったと思います。

*その内容に近い文章を見つけたので添付しました。


遠藤選手は、鳥の目をもっているような(俯瞰的な)プレーをすることで有名です。

著書の中で、なぜそのようなプレーをできるのかについて語られていました。

遠藤選手は、公園のベンチに座っているときでも、視界の右隅で「何番目のブランコが揺れていたか」を捉えるようにしているそうです。

街を歩いているときでも、正面を見ながら視界の両端に見える情報を集めるようにしているとおっしゃっていました。

日頃から意識することで、サッカーのプレー中も視野を広く保つことができ、多くの選択肢を用意することができる。

そして、たくさんの選択肢を持っているほどどんな試合展開にも対応でき、ゴールの可能性が高まるとおっしゃっていました。


その視界を広げる訓練を 義務感 ではなく 遊びの感覚 で続けられているそうです。


どうして、この文章を思い出したのでしょうか と尋ねると、


"遊びの感覚 で続ける ということが大事なのです。


いかに、緊張状態から抜け出し、機知に富んだ (ウィットな) 発想ができるか、

そういった視点で捉えられるか が、すべてのカギとなります。


仕事、人間関係、健康、たくさんの悩みのカギは、そこにあります"


と、ほほ笑むような感覚とともに続けられました。


さらに尋ねようとしましたが、今回はここまでという感じがしました。



今回も、抽象的な内容になりましたが、誰かにとって役に立つ内容になっていれば嬉しいです。


Siro。

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