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チューリップの花

 先日、蒸気機関車の写真を撮りに熱塩駅に行ってきました。日中線が廃線となり今は記念館になっていますが、駅舎と機関車を見ることができます。ここにある機関車は、日本の蒸気機関車のイメージと少し違っていて、正面から見ると鉄仮面のように見えます。雪をかき分けて豪快に走る姿を想像すると、その迫力は見るものを圧倒していたであろうと思えました。古い機関車にはどこか、質実剛健、そんな力強さがあるものです。重量のある機関車を動かすには、静止しようとする慣性に逆らうだけの巨大なエネルギーが必要なはずです。これを水蒸気の圧力で動かしていたのだと考えると驚きです。駅舎の周りを一廻りして、時の流れを感じながら古の一時を楽しんでいると、小さな花壇にチューリップの花が咲いていました。チューリップは、どこか優しげで可愛らしい花です。その存在自体に意味があり、それだけで十分なのに・・・。理科教師だった私には、かつて、そうはいかない現実を見ていました。中学校では「花のつくり」について教えます。花のつくりは、外側から「がく、花弁、おしべ、めしべ」と共通のつくりがあるということを学ばせるのですが、「こんなことを覚えても面白くないだろうな」と私はいつも思っていました。(もちろん、それを口にすることはありませんでしたが・・・)そんなある日、生徒がチューリップの花を摘んできて、私にこう言いました。「先生、チューリップの花に『がく』がありません。」???!!!感動です。面白くないと感じていた学習に眩い光が・・・。「よく氣づいたね、よく見つけたね。すごいぞ!」そう言って褒めてあげました。彼女は、なぜ褒められたのか分からない様子でしたが、眼の前にあるその奇跡に氣づいたことこそ称賛されるべき発見だったのです。
 翌日、私は単元のカリキュラムに変更を加え、授業を1時間追加しました。本当に価値のあるもの(自然から何を感じ、何を学ぶのか)を学ぶ機会を作りたかったのです。テーマは「花はなぜ美しく咲くのか?」そこには模範解答はありません。植物は真実を語ってはくれませんし、その答えがどんなに素晴らしいものであっても、それはあくまでも人間の思考であり、真実ではないからです。でもそれが真実に最も近い答えなのだとも言えます。誰かの決めた模範解答を盲目に信じるより、自分の中で答えに辿り着く方が素晴らしい!思考より直感でとらえるような授業は楽しいものです。しかし、無意味だという意見も当然、存在します。システムに組み込まれた「受験」は、その意見を肯定するからでしょう。私はすべてを理解した上で、各単元に色々な仕掛けを組み込んで授業をしてきました。それが正しかったか、どうかは、近い未来で証明されるはずです。
 横道に逸れてしまいましたが、さて、花はなぜ美しく咲くのでしょう?この授業の教師は、「花」(自然)であり、私は案内人に過ぎません。ただ案内人として、旅のストーリーを描けないのであれば失格です。私の描くストーリーは、昆虫の視点で考えた時に分かる以下の点に導きます。花弁の美しい色が遠くにいる虫たちを集めること、花の香りで花まで虫たちを引き寄せること、甘い蜜で花の中を動き回らせること、めしべの先端におしべでつくられた花粉をつけさせる(受粉)こと、花粉を体や脚に付着させ花の中で受粉(自家受粉)させること、他の花に花粉を運ばせて受粉させる(他家受粉)ことなど、花の戦略?に氣づかせることです。植物と昆虫や動物は共生していることに氣づかせるのです。でも、ここで落とし穴があることに氣がつきます。「がく」は?目立たないつくりですが、がくにも役割があるはずです。それを考えさせるのです。すると、陸上の虫に注目する生徒が現れるから不思議です。地面から登って来る虫は、密を吸うのではなく、葉などを食べるものが多いことに氣づきます。すると、がくの形状から花に近づけさせない、防御壁のような役割があるのか?と思われてきます。そんな意見を出した生徒がいたら、最高級の褒め言葉で称えてあげればよいのです。さてコレで終わりといきたいところですが、ここからが面白いのです。チューリップに「がく」がありませんと言った生徒を思い出してください。確かにチューリップの花には、緑色の「がく」がありません。さて真相はいかに?もし、チューリップの花がその場にあれば、感謝しながら花を分解すると良いでしょう。よく見ると2種類の花びらがあるように見えます。3枚が「花弁」で、3枚が「がく」なのです。では、前述の防御壁は間違いなのか?いやいや、チューリップの花の「がく」は、ちゃんと陸上の虫たちを寄せ付けないようになっているではないですか。さらにその「がく」にも「花弁」と同じ色をまとわせ、空を飛ぶ虫たちに花の存在をアピールしていたのです。凄い花に思えませんか?自然の中で生きていくという意味をこのチューリップが教えてくれるのです。氣づかないなんて、もったいない!
 チューリップの花を見ると、何十年も昔の話ですが(名前も忘れてしまいましたが・・・ゴメン)、その生徒との出来事を思い出してしまいます。人間もチューリップのように変様してもいいのだと思います。それは容姿に限らず、生き方にも言えることです。模範解答のある問題に思考は有効ですが、答えのない問題には無力です。思考は幻想であり、考え過ぎれば、より混乱を招くものなのです。さらにそれは、ずっと結論を出せずに大切な「時」を無駄にしてしまうことにもなりかねません。結論を出せないと悩むなら、「直感」を信じてみましょう。真実に近い結果がそこにあるはずです。もし、うまくいかなかった経験があるのならば、それは「直感」ではなく、「思いつき」だったのでしょう。前者は魂に、後者は思考に由来するものです。思考は幻想だと言いました。思いつきで行動してはいけないのです。今の現実世界を考えた時、大切なのは「直感」と「思考」のバランスです。どちらかに偏り過ぎるのは危険です。そのバランスは自分の「意識」でコントロールしてください。多くの人は「思考」に頼りがちです。今まではそれで良かったのでしょう。時が来た今、自分の心と向き合い、自分が何を望んでいるのかを魂に聞いてみましょう。本当に必要なことが、直感として降りてくるかも知れません。もし感じ取ることができたなら、思考で考えていたときより、腑に落ちる感覚に満たされるでしょう。そのとき、あなたは「自信」を持てるようになっているはずです。その時が行動する時です。自分の世界は自分で創り出すものです。自分の世界では自分が創造主なのです。言い換えれば、自分の世界では、自分が「神」なのです。そう思えたなら、あなたはチューリップのように“自神”に変化していることでしょう。日本の思想に「万物に神が宿る」という教えがありますが、それは正しいと思います。私もあなたも、みんな自分の世界の創造主であることを思い出しましょう。「よく氣づいたね。」と高次元の存在たちが、あなたを祝福してくれることでしょう。


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