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父親に対する気持ちの変遷①

私の愛着問題の原因は父親との関係だと思われます。
父親に対する気持ちは時間と共に変わってきているので、思い出しながら綴ってみようと思います。

・~大学3年位
無意識に絶対神だと思っていた。
父親の言う事は全て正しく、違う事を考えたとしたら自分が間違い。
だから自分は間違ってばかりの本当にダメなやつだと思っていた。
高校時代は寝る時の記憶が無くなるくらい(でも気付いたら朝ベッドで目覚めてたので短時間でも寝てはいた笑)机にかじりついて勉強してテストで良い点数を取っても、1桁代に昇った学年順位を見せても(普通に凄くないですか!?🤣)、ブスっとした顔で「油断するなよ」と言われるだけで褒めてはもらえなかった。
だからこれまた無意識に「褒められるまで勉強しなきゃ」と思って、大学合格後上京してもWスクールさせてもらって、したくもない勉強漬けの日々を送っていた😭
ただ、上京して大学の友達とかと話していると、うちの父親ほど子供に干渉してくる親はいなさそうで段々違和感が出てきた。
例えば、父親から電話が来た時1回で気付かず折り返しすると怒られる。
ケータイ(当時はギリガラケーだったかな?)を鞄に入れて電車に乗ってようが、友達と会っていようが、こっちの予定はお構い無し。
でも口答えするともっと大声で怒鳴り返されるので、それが嫌で電話越しでずっと我慢して怒られていた😣
電話越しだろうと、怒鳴られると無意識に「叩かれる!」と思って怖くて固まっていた😅

・大学3年~社会人3年目位
自分がトロい事は何となく感じていたので、とにかく生活時間を削って分刻みでスケジュールを立てて勉強しまくった。
そしたら毎日涙が出るようになった。車に轢かれたいと思いながら、寮と大学と専門学校を行き来していた。
1度、帰省したタイミングで「勉強が辛い」と父親に相談しようと思ったが、当時妹も「家出する」と言って失踪した後大学休学して家にいたり🤣弟も浪人しながら予備校を無断欠席気味だったりして🤣父親は学費のため仕事も続けながら2人の心配もして、見た事が無い位憔悴していて、言えずに東京に戻ってきた😇
母親に相談しようと思わなかったのは、単純に短大卒で勉強の話に疎いから当てにしてなかった。

記憶がもうあやふやだけど、この辺から一番最初のうつが来た。(病院は行かなかったので診断降りておらず自称です。でも診断要件は今より満たしていたはず)
どこかで「泣くのは悪い事じゃない」「自分は父親や周りの人が喜ぶ事を正解だと思って、必死にそれを探りながら生きてきていて、自分のやりたい事は何も分からない」と気付いて部屋で号泣した。
自分のやりたい事を考えた結果、ぼんやりと「お葬式の時に皆が私がいて良かったって言ってくれれば良いかな」と考えた。
そして懲りずに「皆が喜ぶ事(正解とする事)の共通点は何だろう」と寮のベッドで泣きながら考えて、「人(人類)のためになることだ!💡😲」と思い付いて長年の謎が解けてスッキリした😂
それから本屋で何となくニーチェの本を眺めたら同じような事が書いてあって、「あら!ニーチェさん気が合うかも🤭」と親近感を感じた。でもニーチェさん最後気が狂って死んだと書いてあって、サッと本を閉じて本屋を出た😇
「とりあえず考えるのを止めよう、私も気が狂ってしまうかも」と怖かった🤣←やっぱり怖がり

結局Wスクールの方は諦めて普通に就職した。
父親に反抗したいけどまだまだ怖くて、就職先は父親がギリギリ許すだろうなぁという、業界中堅の民間企業にした。

働き始めても父親の電話攻撃は止まず🤣
ある時私の堪忍袋の緒が切れて、絶対怒られると思いながら勇気をだして出来るだけオブラートに包んで(自分優しい🤣)言い返して、強制的に電話を切った。
絶対怒られると思ったら、父親は少ししょげて謝ってきた😳
びっくり仰天、私にとっては驚天動地、電話が終わったあと「解放されたー🙌✨」とかなり嬉しかった🤭
ちなみに私の言葉は全然オブラートに包まれていなかったようで、父親は母親に「こんな事言われた」と呆然と言ってきたらしく、「あれで伝わっちゃうんだー人間の理解力すごい(?)」と思ってそこもびっくりだった(ノ≧ڡ≦)テヘペロ


長くなったのでいったんここまでにします。
お読みいただきありがとうございました🙇‍♀️








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