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ひらがなエッセイ #12 【し】

    両親が共働きだったので、小学六年間を学童保育で過ごした。学童保育というのは、学校が終わってから両親が帰って来るまでの間、子供を預ける事が出来る保育施設である。今でこそ「放課後児童支援員」などと言った専門資格もあるようだが、私が通っていた頃は、特にこれと言った資格も無い普通のアルバイトのおばさんやお姉さんが私達の面倒を見てくれていた。私もその頃は、何も考えずにそこにいる大人を全員「先生」と呼び、慕い、悪さをすれば怒られて、それをちゃんと謝れば褒められたりもした。同じ地域の違う学校保育の子供達や、そこに勤めていた先生達との交流もあり、沢山の人達に囲まれて過ごした小学生時代であった。

    そんな学童保育では「子供は風の子」と言う謎の教育方針により室内の遊びを禁じられ、近所の公園で遊ぶ事を強要された。活発な男の子達は野球やサッカーをして、女の子達はかくれんぼや四葉のクローバー探しに夢中になっていた。私を含めた少数の謎グループはというと、ラジカセを持ち出して夏の浜辺のパリピ野郎のように音楽をバンバン垂れ流し、そのリズムに合わせてけん玉をする、という遊びに興じていた。他の公園利用者にとっては迷惑この上無い行為であるが、その頃は何故か皆が穏やかで、子供が楽しそうでいいねぇ、と優しく見守ってくれていた。そんな時代だった、と一括りにして、本当に迷惑と思っていた少数派を想い出補正で滅殺するつもりも無いのだけれど、いや、本当に反省してます。あの頃、迷惑と思っていた人、すんませんでした。まぁ、そんな訳で私は今でもけん玉がまぁまぁ上手い。これは少しばかりの自慢なのである。

    しかし、晴れの日もあれば雨の日もある。雨の日は公園に行けないので、イケメン球技グループはふて寝、かくれんぼ草むしりガール達は先生とあやとりなどをして過ごしていた。私達に天気は関係無い、さぁ、けん玉を手に取り、ミュージックカモンDJ、とか何とか騒いでいたらイケメンふて寝グループに蔑視され、女子達にストレートにうるさい、と言われたので、こりゃいかんと手に取ったのが【将棋】であった。ルールブックを手に取り、あぁだこうだ言いながら始めは覚束ない試合を繰り返していたが、その内にのめり込んで、雨の日には、コソコソと集まり【将棋】を指すという暮らしが続いた。しかしそこは子供、勝負事に負けたら泣く奴が現れて、泣かせた泣かせてないの問題が生じて、事なかれ主義を重んじられる先生方に取り上げられてしまい、しばらくして【将棋】の事などさっぱり忘れて、またピースフルなけん玉DJへ戻っていったのであった。

    ほぼ、けん玉の思い出じゃねーか、とは思うのだが、何故こんな事を振り返って語っているのかと言うと、私の今現在の趣味が【将棋】であり、私と【将棋】はどこで出会ったのか確かめたかったからである。

一度告白されて振った子を、思い返して恋してるような、妙な気分になっただけだが。

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