(10/18日記) ばぁちゃんが死んだ。未来は便利。未来が人を生かしている話

ちょっと間が空いたけど、反応次第ではこれからも書くつもりなんですよ。

あんまりまだまだ、マメさが帰って来ていないけれど、スキとか、フォローとか、サポートとか、Xのポストとかで頻度が上がりそうですの。よろしゅうたのんますね。


先日、父方のばあちゃんの葬式に行ってきた。

去年、父の葬式のあれこれが済んだあと、母を労る意味も込めて、弟と三人で家族旅行に行ったとき、まぁさ、ついでだからねと、ばあちゃんにも会ってきた。

ばあちゃんは父、ばあちゃんにとっての息子が、本当に大好きだった。その父が死んだ後のばあちゃんに、未来はもうなかったのかもしれないと、そんなことを思ったときの話。


ばぁちゃんの未来

去年会った頃のばあちゃんは、さすがにとても傷心しているようではあったけど、なんだかんだ、まだまだ、生きていそうな雰囲気があった。

じいちゃんは、父が幼少の頃に結核で亡くなっていたらしいので、会ったことがない。ばあちゃんは長いこと、シングルマザーとして父とおじさんの男2人を食わせてきた。

ばあちゃんの人生は、87年というから十分なんだろうけども、60歳くらいから身体の調子を壊していて、血が出ると止まらずにいた。だけどそれからの20年以上、安らかで穏やかな暮らしをしているように見えた。

ばあちゃんは何か、"人徳の塊"のような人で、おそらく、大してお金があるわけじゃなかったんだろうけど、周りの人の協力をすんなりと得られるような、愛され人。そして何か、とても上品な人だった。

だから、死ぬような気もせずにいた。こちらが抱いた勝手な不死のイメージ。美輪明宏はたぶん死なない、そんな感じである。

それがぽっくりと逝ってしまった。「また来年ね」と言ったけど、その言葉はもちろん、生きてのつもりだった。

この出来事があって思い返してみれば、ばあちゃんにとっての人生の楽しみ、意味合いは、晩年、父の存在だったように思ったのだ。

未来は便利

60歳くらいからのばあちゃんが、変わらず安らかに生きていられたのは、父の存在が大きかった。

そう思うのは、ばあちゃんが倒れたり、住居や施設を変えるたび、父はよく手伝っていたことからである。施設の広いウッドデッキを研磨して綺麗にしたりだとか、そうゆう話をちょくちょく施設の人から聞いた。親孝行な父だったようである。

父の立場になって想像するに、母であるばあちゃんの存在もまた、父にとっては大きかったと思う。

子供ながらによく思ったのは、父は父らしい感じがしなかった。心に残る父の名言だとか、そういった言葉の記憶が、まるでない。おそらく、父には"父"の、間接的体験がなかったからだと思う。

だからこそ、ばあちゃんを大切にしていた父。千葉から栃木まで、マメに通っていた話も聞いたことがある。

その親子関係はきっと、互いにとって未来だった。父にとってばあちゃんが死ぬことは、ある程度、想像の範囲というか、一つ、確率の高い筋だから、受け入れて新しい未来を創ろうと思えたかもしれない。ぼく自身がその未来の一つになっていたのかもしれない。

ばあちゃんにとって父の死は大きなキャパシティで、ばあちゃんの人生を占めていたように感じる。父が先に逝ってしまったならば、ばあちゃんに必要だった未来は大きく消えた。

そう感じるのだ。だからそんなことから、未来は便利なんだなと感じている。

生きていくならば、未来があれば生きていける。未来がないならば、生きていたって仕方がないのかもしれない。それは、大いにあり得ると思うのだ。

未来を創ること

人生に意味なんてない。自分なりに一つの結論である。おそらく、本当になさそうである。

だから、意味のない人生に未来を生み出して、意味を見出すから生きていける。

かなり短い期間で大切な親族を複数人失った弊家系の中にありて、そんなことを思ったのだ。

余命というのは、どこまで続くかわからない白のキャンパスで、どこにその縁があるのかは誰にもわからない。

もしかしたら、イメージした縁の、時間的スケールで伸び縮みする、融通の効くものかも知れないし、あらかじめ決められた定め的な何かなのかもわからない。

よくわからないから、「白のキャンバスには大きな未来を描いた方がいいな」と思う。自分が死んだ先を超えて見据えたならば、もしかしたら中々死なないのかもしれない、とさえ今は思う。

この世は常に夢で、夢は都合のいい夢を見た方が、気分がいい。ばあちゃんもきっと、十分にいい夢を見てきたのだろうし。

まだ、気力と体力があるならば、未来は何度でも創った方がいい。来週の遊ぶ約束でもいいし、明日の美味しいご飯だっていい。未来を創るから、我々は寿命を伸ばしてきたんじゃないかと、わりかし本気で考えている。

あんまりこの世に絶望していても仕方がなく、未来がなくても身体が若い。そんなんでは、どこかに不都合が生じてしまう。だから生きづらい。

なんでもいいのだ。未来を創り続けること。それは設計図を描くような作業で、完成しなくとも、取り組むこと自体が楽しくて、便利なのだと思う。

まとめ

ばあちゃんは綺麗な顔をして棺に入っていた。微動だにしないその身体から、ばあちゃんがそこにはもういないことを、何度も何度も実感した。

死ぬというのはきっと、そんなに悪いことじゃない。父やばあちゃんを構成したあらゆる原子は、地球のどこかに飛んでって、今では何かしらの姿形へと変わっていることだと思う。

そもそもが、そうなのだ。生きていることは特別だけれど、特別すぎることでもない。

そう思うとたまたま意識のある"今"が、有難く感じられるのだ。香りがして、味がする。それ自体が何より素晴らしい。

人の死が知らせてくれる。生きているうちは生きていることを。死んだら死んだときに楽しむことを考えるとして、今を楽しく生きていきたいと、改めて思ったのだ。

父の死のおかげで、こちらにはしっかり免疫ができていた。変な凹み方をせず、笑って見送れたと思う。

ばあちゃん、お疲れ様でした。今までありがとう。今度あのエレクトーン、おれにも教えて。

ウイスキー飲みます🥃