Chie

和歌山県有田市、有田みかんの産地で三姉妹子育て真っ最中の母、Chieです。 私 自分が…

Chie

和歌山県有田市、有田みかんの産地で三姉妹子育て真っ最中の母、Chieです。 私 自分が、子どもが、家族が、そして、地域のみんなが、心地よく、イキイキ過ごせる居場所づくりを目指して、只今、総合型地域スポーツクラブを設立準備中。

最近の記事

信頼できる大人ができた

2歳半で、私から離れて過ごす時間ができた長女。 最初、それはそれは泣いていましたが、少しずつ慣れて、幼稚園での体験が楽しくなってきたようでした。 先生の名前を憶えて、 「〇〇先生」 というようになり、やったことを教えてくれる。 工作を持ち帰って、嬉しそうに話す。 長女の世界が広がって、とても成長したように感じました。 なにより、家族以外の、子どもが頼りにできる大人ができたことが嬉しかったです。 多分、もう、長女は、当時の先生のことを覚えていません。 でも、き

    • 長女、プレスクールへ行く

      次女の出産予定日の1ヶ月前。 長女は、2歳半で、プレスクールに行くことにしました。 違う地域の幼稚園のオープンスクールに行ってみて、いい!と感じたこと。 でも、何より行かせることを決めたきっかけは、 「長女の世界を広げたいと思ったから」 です。 長女は、乳児期から人見知りがひどく、慣れた人の中でしか話せませんでした。 たまに行く、義実家でも、話をするようになったのは、かなーり時間が経ってから。 そんな長女の世界は、 母親である私、父親、敷地内に住んでいる祖父

      • 産後1ヶ月半のお休み

        次女を出産したとき、すでに、 「ベビーマッサージ講師」 「リフレクソロジスト」 として、活動をしていたので、出産すると、おのずと、教室も、サロンも、講座も、お休みになってしまいます。 ベビーマッサージ教室に至っては、本当に同じ時期に子育てしているママたちが来てくれていたので、有り難い環境で、 「ゆっくりしてねー」 と言ってくれていた中、私は、1ヶ月半のお休み、と決めました。 というのも、講師依頼を頂いていることもありましたが、以前のようにがっつり、とはいかなくても

        • 産後の不安

          私が2人目の産後、何に一番不安を感じていたかというと、間違いなく 「寝不足」 第一子の時に、人生の中で一番!と思われるくらいの寝不足に陥ったので、何よりそれが不安でした。 そんな状態で、在宅で育児していた長女の面倒を見れるのか?と。 結果、生まれてきた次女は、自宅にもすんなり慣れ、驚く程、良く寝てくれる子でした。 夫と、 「こんなに世話かからん子だったら、双子でもよかったな」 と笑い話にされるくらい、手のかからない子でした。 お陰で、長女の事にも目を向けながら

        信頼できる大人ができた

          長女の卒乳

          当時は、私の実家の離れに暮らしていました。 だから、里帰り、ではなく、自宅に帰って、ご飯などを実家の母屋に食べに行って、助けてもらうスタイル。 ちょうど、夫のゴールデンウイーク前に生まれた次女。 はじめは、4人で過ごし、ゴールデンウイークが開けてから、日中は3人、という生活になりました。 我が家は、自然卒乳を目指していたので、次女妊娠中、切迫早産になるまで、長女に授乳していました。 もちろん 「栄養」 というよりは、スキンシップ、そして、安心するため、という感じ

          長女の卒乳

          第二子が生まれた後の、長女

          第二子出産後。 当時、長女2歳半。 入院期間は4泊5日。 その間、初めての私がいない時間を過ごす長女。 初日、産後に病院へ会いに来てくれて、あっさり帰ったものの、淋しそうに寝る前の電話をかけてきました。 「ママと寝たい」 「ママとこ行きたい」 そりゃそうです。 ずーっと一緒にいたママがいない。 しかも、長女は長らく、夜泣きをしていました。 授乳が終わっても。 泣いて起きることが多かった長女。 きっと試練の時だっただろうなと思います。 毎日、日中は祖母と

          第二子が生まれた後の、長女

          産後初の

          第二子出産がお昼すぎ。 そこから寝たきりになること、4時間。 第一子の出産時、産んだら当たり前に、授乳できると思っていたのですが、まさかの、初授乳は翌日10時で、産後初の授乳は、看護師さん?がしてくれていたようでした。 私としては、自分でやりたかった&出なくてもおっぱいを吸わせたかった、という思いが残ってしまったので、 「最初の授乳はおっぱいをあげたい」 とかねてからお願いしておりました。 結果、まだ寝たきり状態の所へ、助産師さんが次女を連れてきてくれ、産後3時間

          産後初の

          促進剤からの出産

          陣痛来てないのに、子宮口が5㎝開いていてびっくりされた私。 急遽入院、出産の流れになりました。 先生に促進剤のお話をされて、 自然に生みたい という気持ちもありつつ、 お医者さんがそういうなら、そうしたほうがいいのかな…そんな気持ちになって、サインをしました。 ノンストレステストの機会を装着して、横になる。 促進剤を入れる前に、10分間隔の陣痛がき始めました。 刺激されて、子宮口7㎝。 このまま、進むかも、と思っていましたが、 「一応促進剤入れよう」 と

          促進剤からの出産

          5㎝の衝撃

          39週目前。 前夜に、尿漏れか破水か分からないものも出て (お恥ずかしながら) 健診の日の前日でしたが、早めて診察に行くことにしました。 いつも通り、 体重測定 血圧測定 検尿 ノンストレステスト 腹囲測定 からの 内診 「もう5㎝開いてるで!なんともないん?」 と先生驚き。 いや、私も驚きですけど!! 「入院の用意してきてる?」 前回お産が早かったもあり、帰宅してお産が始まったら、間に合わないかもしれない! このまま入院! と言われて、あれ?!

          5㎝の衝撃

          いつ生まれるの?!

          正期産の37週を迎えて、ずっとお世話になっていた、張り止めも終わりを迎え、 「子宮口も柔らかいし、少し開いてきてるし、いつ生まれてもいいねー!」 という先生のお言葉もあり、 「いつ生まれるのか?!」 とソワソワしていた私。 長女は、破水からの陣痛だったので、今回は、どんな感じで生まれるのか?! 陣痛って、ちゃんとわかるんかな? おしるし出るかな? そんなことを思いながら、長女と一人っ子生活の終盤を楽しんでいました。 実はこのタイミングで、長女をプレスクールに

          いつ生まれるの?!

          受験結果

          妊娠9ヶ月で、リフレクソロジスト受験をした私。 約2週間後。 結果が出ました! 合格!! 29歳、第二子妊娠中にリフレクソロジストになりました。 ここから出産までの1ヶ月半の間に、怒涛のリフレクソロジー講座三昧。 身体は無理をしない程度に。 でも、 「今」 できることを全力でやりました。 そして4月。 臨月に入り。 出産予定日が5月3日だったので、そろそろかな、と感じて準備を始めました。 長女が37週1日で生まれたので、きっと次女も早いだろうと予測し

          受験結果

          妊娠9ヶ月で受験

          リフレクソロジストの試験を、妊娠9ヶ月で、和歌山から受けに行った私。 夫と当時2歳の長女同伴で。 ベビーマッサージ同様、同じ会場で、懐かしい思いをしながら、いざ会場へ。 試験は相モデルで、受験生同士が足にトリートメントする様子を、試験官がチェックするスタイルでした。 2月だったので、底冷えするーと思いながらも、50分弱の施術。 「セラピストになったつもりで」 挑みました。 実は、この時点で、 「受かる」 と決めていた私。 実は、3月にリフレクソロジーの講座

          妊娠9ヶ月で受験

          間に合う?

          次女の出産予定日は、5月3日。 当時、リフレクソロジーの実技試験があったのは、偶数月の下旬。 4月下旬は生まれている可能性がある。 ということは、2月下旬の試験が最終リミット。 いけるのか?! 間に合うのか?! 間に合わせるしかない!! よし! 2月受験に向けて、ラストスパート。 身体はできる限り無理せず。 でも、やることは、コツコツと、粛々とやり続ける。 練習して、レポート書いて、練習して。 1月末の健診で、 「大阪まで試験を受けに行きたい」 旨

          間に合う?

          こっそり動き出す

          お腹の張りもそんなにひどくないし、何なら家で少し動く位ならできるかも? そう思った私は、ケーススタディといって、実際にお客様役をしてもらって、同じ方にトリートメントを行うことを始めました。 これ、なんせ、3人の方に6回ずつしなければなりません。 受験日までに、6回完了していることが必要で。 相手の都合に合わせながら、となると、悠長なことは言っていられない!と焦り始めたのです(笑) 私の事情を知ってくれている人で、我が家まで受けに来てくれる友人3人に依頼して、ケースス

          こっそり動き出す

          動けないジレンマ

          妊娠20週。 第一子、2歳の子どもを抱えた状態で、安静指示が出ました。 子どもがいるし、ということで、入院は免れましたが、安静。 なんもできねー。 気持ちは元気だけど、気が滅入る。 横で遊びたい盛りの長女を見守りながら、室内で過ごす日々でした。 幸い、当時は実家の敷地内に住んでいたので、ご飯は実家でお世話になり、最低限の事をしながら過ごしていました。 そして、そんな状況に気持ちが焦る。 だって、出産までに、リフレクソロジストになろうと思ってたのに! 残された

          動けないジレンマ

          リミットは出産まで!

          ママたちが疲れてるなら、癒される場所を作ろう! 私が癒せる人になろう。 と、自分自身が体感して、 「よかった!」 と感じた、リフレクソロジーを取り入れたい!と、リフレクソロジストを目指すことにしました。 ベビーマッサージと同じ協会での資格取得。 そうなると、近くても大阪試験。 きっと第二子を出産してから行くのは、色々大変だろうし、難しい、ということで、 「絶対2月の試験で合格する」 そう心に決めて、勉強を始めました。 つわりは落ち着いた時期だったので、今が

          リミットは出産まで!