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「写真に残さない」という選択

先日の記事で
ハワイでのホームステイの体験から
キャンドルや小さな灯りを好きになった
話を書きました。

この話は20年以上前の話です。
その頃はまだiPhoneもなくて
携帯電話を持っていても通話やテキストが
メインだったはず。
私も携帯電話を持っていませんでした。

そんな頃だから
当然気軽に写真も撮れないし
そもそも、「何でも撮っておく」なんて
文化がなかったので
そのホームステイでの写真はほとんどありません。

だけど
当時の思い出は濃厚で
いくつかのシーンは詳細に覚えています。

例えば、ホームステイ先で仲良くなった
ジェシカのことです。

離婚直後に出産し
実家に戻っていたジェシカが

毎晩遅くに、
リビングのキャンドルの灯りの下で
ミックスジュースにブランデーを入れた
謎のドリンクを飲みながら、
アリシア.キーズの曲を聴いていました。

note記事:もしもあの夜キャンドルがなかったら…から

この時の彼女の後ろ姿
彼女の髪型も、着ていたTシャツも
お酒のグラスも鮮明に覚えています。

だけど
人間の記憶とは、とても曖昧なものらしい


もしあの時、
メロウな彼女の後ろ姿を
こっそり写メっていたら…
今の私の記憶と違ったかもしれない。

私はこの日の彼女を
とても綺麗だと感じ
憧れの気持ちさえ抱いていたので

もしかしたら記憶の中で
彼女や彼女を取り巻くものたちを
美化しているかもしれない。

でも、それでいいと思うのです。
それこそが
「思い出」の良さではないでしょうか。

私の思い出が美化されていたって
誰にも迷惑をかけないし
思い出に浸るたびに幸せな気持ちになれる。

アリシア.キーズの曲を耳にした時
私はいつも彼女とあの光景を思い出し
懐かしくて幸せな気分になります。

自分も彼女も、まわりの景色も
脳内で勝手にフィルターをかけて
一段と綺麗になった思い出にひたれるのも
形ある思い出の品がないからこそ
かもしれません。


今はこのような20年前と違い
携帯電話でいつでも
思い出を残せる時代ですが

食事の前や素敵な景色の前で
写真に残すことばかりに気をとられるのは
もったいないと思うのです。

例えば
自由にノートをとれる授業と
控えを一切とれない一度きりの授業では
その授業への向き合い方や集中力が
違うだろうと思いませんか?

私も子供の運動会の時
一生懸命写真やビデオを撮っていましたが
ある時、ファインダー越しに見るより
カメラやビデオをおいて、
思いっきりその瞬間を味わって
声援を送る方がずっと楽しいと気づきました。

写真に残さないと決めることで
その瞬間がもっと鮮明に記憶に残る
こともあるのではないでしょうか。

残してあげたい、残しておきたい
と思う気持ちはあって当然ですよね。

でも、
例えば次のイベントだけでも
「写真は残さない」という選択をして
全力で、その時を楽しんでみませんか?

きっと、楽しめば楽しむほど
忘れがたい記憶として残るのではないでしょうか。

#シンプルライフ #暮らし #ライフスタイル
#エッセイ


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