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社会的弱者の啓蒙活動と職場のリアルな心境

⚠️※この記事で傷つく繊細さんがいると思います。神経図太くない方は読まないでください。⚠️

昨日、こんな記事を目にした。


「多様性」「インクルーシブ」「マイノリティへの配慮」「障害者雇用」「ヘルプマーク」「HSP」「大人の発達障害」……。

ここ数年でどんどんそういった言葉や概念がメディアによって拡散され始め、弱者を社会の輪に入れてやろうという試みが進んでいっている。

そしてその流れに「僕も!」「私も!」と便乗する弱者が蔓延ってきつつあるのが現状だ。占いよろしくバーナム効果である。

特にHSPやADHDは「流行ってるから」とファッションやアクセサリーのように概念を扱う"弱者様"もいる。やれやれだぜ。noterでも避けてるぜ!

障害者手帳を持っていてもクローズド雇用で健常者として働いている私は、この記事を読んだ時に、「健常者にシワ寄せがいって過負荷をかける状態というものは、(厳しい書き方をするが)本当に害だな〜」と感じたのが率直な気持ちである。少しの負荷ならわかるが、過負荷は良くない!絶対良くないのだ!優しい人が倒れてしまう可能性がある!

健常者にサポーターというかケアラー・介助者の役割を通常業務に加えて担わせるということは完全に過負荷。その分お給料上げてるかと言えばそうではないだろう。

弱者は弱者同士で支え合える状況になっているのであれば問題はないのだが、健常者が弱者動物園のお守りをするとなるというのは……、もうそういうサポーターポジションの健常者(←応募する人は覚悟してね!)の求人を出すしかないのではなかろうか。はたまた社会的にそういう専門的な職業があってもいいかもしれない。

貼った記事にもあるように、この健常者の女性はサポーターとして疲弊してしまっており、適応障害寸前ではないだろうかと心配に思う。家庭のことも読んだが限界そうだ。叫びに見える。

一部の社会的弱者は……強調するが、一部の!社会的弱者は、「辛いのだから休んでも仕方ないよね。障害者雇用だし休んでいいよね」「可哀想な私のメンタルケアをして」「できない仕事をサポートして」「放置しないで積極的にフォローして」と職場への要求・自己主張が多い。しかも、性格が歪んでいるのか支えてくれる人々に感謝しない。言い方が悪いが自己中心的で周りが見えていない。

周りの皆さん配慮してください、だけではなく、自分からも他人に配慮してあげる気持ちや感謝を忘れないでほしいなと思った。

そうでないと弱者の立場やイメージはどんどん下がっていく。

本当にこのままでいいのだろうか?(みんなで、できる範囲で頑張っていかないかい?)

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