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春の終わりと情緒不安定
統計的に見ると私は1ヶ月に大体4回性格が変わっている。
1つ目はとにかくイライラした自分。普段は何も思わないレジに難癖をつけたがる面倒な性格になる。
2つ目は世界の終わりのように悲壮的な自分。我ながら驚いたのはウォシュレットで号泣したこと。実家のウォシュレットは壊れていた。今は知らないが当時何もボタンを押さなくても勝手にウォシュレットが作動する事があった。そんな最悪な故障の仕方をしたまましばらく放置されていたが、そのせいである日その誤作動にまんまと引っかかり何もしていないのにウォシュレットに迎撃された。濡れそぼる服。そして号泣。何たる仕打ち。私は何もしていないのに・・・声を上げて泣くのは小学生以来ではないか。本当にもうワンワン泣く。これが2つ目。
3つ目は車窓から見える木々の美しさに涙が出るほど感動する自分。本当に、今まで気にも留めなかった木々たちの、太陽の光に反射して黄緑色に透けて輝く薄葉に「地球に生まれた良かったァ」と織田裕二ばりの感動を抱く瞬間があるのだ。この時期が1番落ち着いているのかもしれない。ある意味では鬱陶しいが。
最後はごく普通の性格。ほぼ凪。
こんなに1ヶ月の間にころころと性格が変わっては自分も他人も一苦労だが、この情緒不安定とは向き合わざるを得ない運命にある。なんせそれが自分の体だから。さくらももこの小説で、腹痛を訴えるまるこが隣の男子でいいから健康な腹と交換してほしいと願ったのとほぼ同じである。人体よ、なぜもう少しましに創られなかった。
◇
だがその恩恵を受けることもある。恩恵と言っても3つ目の性格の時だけなのだが、なんともない日常の風景に心打たれる瞬間がよく訪れるのである。サブカル女子が日常を切り取るのと同じかもしれないが(サブカル女子はもういないのかもしれない)本当に感動する。
街中を歩くと私はよく細い方の道を選ぶ。二股に別れれば細い方へ。四つ角ならより細く暗い方へ。そうして辿り着くのは大抵クソみたいな路地。でもそこには確かに何かがある。閉店したプランタス。視界の端に映り込むラブホテル。ドアの開いたゴミ置場。中には乱雑にゴミ袋が打ち捨てられている。通り過ぎる人は皆どこかへ消えていき、行き先を知ることはできない。来た道を戻ることはあっても、あの時の風景は二度と戻って来ず、ただその時の残像を追いかけるばかりである。その一瞬に置き去りにされたような感覚を味わえるのは1ヶ月のうち数日。
オーロラとかイワシの群れとか神秘的な自然現象みたいに言うが、これはただの私の情緒不安定の話である。
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