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上海ロックダウン経験後にヨーロッパ行ってワォ~ってなった話

7月末に中国を出て、スイスと日本でそれぞれ約一か月を過ごし、なんとか上海に戻ることができ、7日間のホテルでの強制隔離中の身となった。久しぶりのスイスや日本は存分に楽しめたが、やはり慣れ親しんだ上海の街を見ると帰ってきたな、というほっとした感傷にひたった。

コロナの発生から約3年間を経て訪れた、私にとっては馴染みの深い二ヵ国。うまくいえないが、国によってこんなに生活が異なる世界になってしまったのか、という感覚を持った。ある程度海外経験はあるつもりだが、先進国の所謂市井の人の生活が決定的に違う、という印象は今まであまり持ったことがなかったかもしれない。

最初は、スイスへ向かった。2か月の上海ロックダウンの傷も癒え切らぬまま乗り込んだオーストリア航空はWien経由。オーストリア・スイスともに一切のコロナ関連証明は必要なく、日本人のシェンゲン入境協定が以前の通り使えた。浦東空港へもアプリの緑ヘルスコードのみでOK(48時間以内のPCR陰性の意味)で、♪行はヨイヨイ帰りがコワい~の歌が脳内再生されていた。

中国の航空会社制裁(大陸上陸後感染陽性者数が一定数を超えたら大陸上陸便が取消されるという無茶ゲー)を浴びるも、上海→Wien行便を決行してくれたルフトハンザグループに感謝しつつ、ほぼ満席のフライトに乗り込む。

と、ほぼ全ての乗客がザワザワしている。なんと、フライトアテンダント達がノーマスクで微笑んでいるのだ!私とスイス人相方は、隣の中国人たちと「マジでマスクしてないね!欧州は本当にコロナ卒業したんだねぇ。ちょっと信じられないね」と盛り上がった。国籍はもはや関係ない、中国でのコロナに対する認識を共有している、という意味で我々は同志だった。

Wien空港に到着すると、大勢のバカンス中のヨーロッパ人観光客で空港が賑わっていることに驚かされた。天下の上海浦東空港は廃墟状態で、コンビニさえ空いてなかったからである。その圧倒的な環境の差異に圧倒されながらも、「意地でも元の世界に戻すぜよ」というヨーロピアンズの気合を感じ何だか嬉しくなった。相方も同じ気持ちだったのかは知らない。

少しオドオドしていた我々だが、空港のバーに行ってみようか、ということになった。ローカルビールを買い、マスクを外し大勢のヨーロピアンズ(多分ね)と一緒にグビグビと飲み干した。あぁ、(先進国の)世界ってこんなんだったよね。思い付きで飛行機に乗ってバカンスに行けて、とりあえず空港のバーで一杯飲んで旅への期待を膨らませる。そんな普通のことが、すっぽり生活からなくなってしまっていたんだ…などとぼんやり思っていた。

スイスに到着して大体2日くらいで、既にマスクをすることは殆どなくなった。飛行機に乗る前までは、「結婚式も控えているし、公共の場や人の多いところではマスクをすることにしよう」なんて話していたが、あれよあれよという間に楽で心地の良い方向へ流れていった。

理由というか言い訳はいくつかある。先ず、時間を割いて我々のために来てくれる友人や家族がマスクをしていないのに、我々がマスクをしているのは何となく気まずい。あとは、考えすぎかもしれないが街全体の雰囲気がマスクをして歩くことをあまり歓迎してないような印象を私は受けた。

街のなかを歩いていてマスクをしている人がにおよそ5%以下の圧倒的な少数派であり、している人を観察すると外見や抱えている荷物から見て地元の人でなさそうなケースが多かった。※完全に私調べ
私はともかくとして、母国を愛する相方が、久しぶりに帰国したのによそ者のように感じながら行動しなければいけないのは、いたたまれないと感じた。

私たちが生活する中国の現状を考えると次の帰省はおそらく一年後以降になること、今回は結婚も絡むスイス・日本両国への帰省で2か月半と長い旅程であること、も考慮にいれたうえで、スイスにおいてはマスクを外して行動することを二人で決めた。今まで不確定な要素と散々向き合って、なんとかスイスでの結婚式までこぎ着けたのだ、陽性になっても何とかなるだろうと腹をくくった。何より、コロナを恐れてせっかくの貴重な時間を最大限に楽しめないのが嫌だった。ヨーロッパの空気に感化された、いや、好きで感化したのだろう。

会ったスイス人たちは、ほぼ全てが感染を経験済で複数回感染した人もいて、本当にインフルエンザのノリで話していた。でも、コロナ開始当初半年は本当に大変だったと、苦しかった過去の記憶として語っていた。スイスは比較的強制力がないコントロールであったという理解だが、ルールが少なく個人の判断と責任のもとに行動するということを非常に重視するスイス国民にとっては、何期かに渡った<ソフト>ロックダウンもかなりのストレスになったのだと伺いしれた。

相方ともよく話したし、noteも書いたが2020-2021の中国の状況は世界とかなり違っていた。初期の武漢こそ大変であったが、オミクロン到来くらいまでは入境管理を超厳格に行っていたこともあり感染は効果的に抑制できており、国内での活動はかなり自由にできていた。なので、あの時点では非中国エリアの世界の苦しみが、実感覚としては持てていなかった。

いつ終わりが来るのか、一部のリスクの高い人のためにどこまで自分自身の生活を犠牲にすべきか、これから世界はどうなってしまうのか…などの個人では引き受けられないような疑問が毎日頭に浮かぶ苦しみ。2021年までは中国以外の世界が苦しんだ、2022年は一部の西側世界が痛みを引き受けたとしても絶望的なこの疑問に苦しむのをやめようと動きだした。中国はオミクロンにより以前の封じ込め策が通じなくなり、多くの人々がこの苦しみを感じ始めた。と、こんな風に把握している。

はて、日本は…。日本は最初から今までずっと苦しんでいるのではないか?三年間もの長い間…というのは別のノートにすることにしよう。

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